2014年5月31日。岩手県の大槌町を訪れる。その時に見た同町の「今」をお伝えします。
大槌町について
大槌町は岩手県の三陸海岸沿いの町で、東日本大震災で大きな被害を受けている。同町には震災当時およそ1万6千人が暮らしていた。そして、1,284名(平成26年5月1日時点での死者・行方不明者・震災関連死)の方が犠牲になっている。
大槌町公表の資料によると、吉里吉里(きりきり)地区では19m、大槌漁港でも13.6mの津波が観測されている。その時のようすについての証言が「大槌みらい新聞」に書かれている。
当日は自宅にいたんですよ。事業の報告書を書いていたんです。あとはファイルに綴じるだけだったので、るんるん気分でインデックスを付けていた。そうしたら、とんでもない大きな揺れ。一度も経験したことがない、本当に恐ろしい揺れ。うちが潰されるんじゃないか、死んでしまうんじゃないかという。プリンタやパソコン、本棚とかレコードとか、ぜーんぶ(崩れてきた)。
(中略)
やっと揺れが終わって、そしたらうちの妻が「お父さん津波だから逃げよう」って、1階から声が掛かった。テレビも電気も全部付かない。ラジオのスイッチ入れて聞いたら、3メートルの津波だと。親父の代からあそこに住んでいたけど、ここまで来るわけがないと。落ち着け、落ち着け、といって、後片付けをしていた。
(中略)
ふっと下を見たら、50メートル先くらいにどす黒い泥水がばーっと来てる。家が倒れたのが、ばりばりーって、こっちに向かってくる。これはもう、あー津波だ、って思って、それから・・(中略)階段まで泥水がばーっと上がってきて、ばりばりばりーっと。2階の廊下があっという間に泥水。しょうがないから屋根に上った。
そこから見た、その光景。大槌が、巨大な洗濯機。ぐるぐる渦を巻いて。私の家に、流れてきた車や家がぶつかって、ギシギシ音を立てていた。もう、すんごい音。その中で、助けてくれーって言う声と、ボンベからガスが漏れるシューシューという音が。ショートしてビーンと鳴る車のクラクション。助けてくれっていう声はするけど姿が見えない。
私みたいに逃げ遅れた人たちが、屋根の上で流されていた。その人たちが、ごろんごろん、と渦の中に落ちていくのが見えているんですよ。3時過ぎですから、西日が当たっていた。
大槌町を歩く
岩手県・山田町を訪れた後、国道45号線を車で南下して大槌町に入った。同町の吉里吉里(きりきり)地区を通り、トンネルを抜けた先にある県道280号線の高台からは、海辺に広がる広大な更地が見えた。大槌町の市街だった場所である。
高台から下り、市街地域に入った所には大槌川が流れていた。安渡(あんど)地区と呼ばれるこの付近は、津波の大きな被害を受けており、川岸に立ってみると橋脚だけが残された橋跡があった。
大槌川に架かっている橋付近を少し歩いた後、港の方に行ってみようと思った。大槌町にはNHKで放送された人形劇「ひょっこりひょうたん島」のモデルになった蓬莱(ほうらい)島がある。島を見てみたかった。
港へ向かう道路には、並行するように流れる小さな水路があった。水路脇に設置されていた転落防止用の柵はそのほとんどが根元から壊れており、水路に架かる小橋の欄干も壊れたままの状態であった。
「3年以上たってもまだこの状態なのか・・・」ズシッと一気におもりを持ったような気分になった。
安渡地区から港に行く途中には新港町、港町地区がある。この辺りは土地が低く、復興計画では人が住まない産業用地として利用する計画になっている。
港に出ると蓬莱島が見えた。どこかユーモアな印象を受ける小島で、初めて見たにも関わらず親近感を覚える。ひょうたんのようなシルエットにも見えるが、私には「クジラ」のように見えた。島を見ていると、ほっこりと明るい気分になってくる。
蓬莱島と陸地は防波堤でつながっており、歩いて行くができる。島へ渡ってみようと思い、突堤まで来るとそこには津波の爪痕が残されていた。
防波堤の上を歩いて蓬莱島に渡る。島まではおよそ300mほどである。防波堤は津波で壊されてしまい、昨年末に今あるものが完成したとのこと。
渡ってみると、島にあった弁天神社の鳥居や社が津波で壊されたままであった。
蓬莱島の後は、旧大槌町役場を訪れる。
同役場では震災の際に町長ら40人が犠牲になっている。震災遺構として保存するか否かが議論されていたが、今月4日から解体が始まっている。旧大槌町役場の正面中央部など建物の一部を震災遺構として保存し、その他は7月末までには取り壊すとのことである。
東北の復興事業について
大槌町を歩いていると復興工事は手つかずのように思えた。
目の前に広がっているのは被災物が撤去された更地だけのように見え、ビルやスーパーはもちろん、住宅の建設が始まっているようには見えない。主要道路こそ舗装がおおむねされてはいるが、市街地の区画などにある狭い道はでこぼこ状態である。震災前の市街地では、生活の基盤がまったくといっていいほど整っておらず、復興と呼ぶにはかけ離れている状態であった。
しかし、復興工事が全く手付かずかというと、そうでもないのかもしれないと、いま思っている。津波被害を受けた場所を歩いている時は、視点が無意識にどうしても目の前にある更地となった場所にいき、気づきずらかったのだが、写真を見返してみると、市街地の奥、遠くの山が切り崩されて工事が行われている。調べてみると復興のための造成工事のようだ。
「盛土や高台の造成にはとても長い時間がかかる」
浄土ヶ浜のビジターセンターで聞いた話を思い出した。
今回、大槌町や東北の一部の沿岸地域を見て実感したのは、震災の被害はあまりにも範囲が広く、そして大きすぎるということ。そのため、やらなくてはいけないことが多すぎる。復興事業は始まっているのだが、それが目に見えたり実感することができるレベルにはほど遠いのではないだろうか。
復興は大変長い時間を要する事業だということを、いまさらながら改めて痛感している。
旧大槌町役場
参考WEBサイト
Text & Photo:sKenji