前回のはなし
カッパ淵
遠野と聞いてまず頭に思い浮かぶのが「カッパ淵」である。
遠野でカッパ淵というと、同市土淵町にある常堅寺(じょうけんじ)裏手を流れる小川の淵を指すことが一般的である。このあたりにはカッパが多く住んでいて、人間を驚かし、いたずらをしていたといわれている。
遠野観光の定番スポットのひとつであり、多くの観光客が訪れる。
実際にカッパ淵を訪れてみると、川辺にはカッパを狙った釣り竿が立てられていた。竿は竹でできており、先端にはヒモが結びつけられている。ヒモのもう一方の端にはカッパのエサであるキュウリがつけられている。
私が訪れた時は、残念ながらカッパはかからなかった。しかし、涼しげな小川の流れに垂らされている青々としたキュウリを見ていると、カッパ以外にも獲物がかかりそうな気配はある。
ちなみに遠野とカッパのつながりは強く、柳田国男の著書「遠野物語」にもカッパが度々登場している。同物語の第58話には、カッパがいたずらをしようとして、馬を川の中に引き込もうとしたが、逆に馬に引きずられて人間に見つかってしまい、今後いたずらをしないことを約束させられて、開放された話が書かれている。
カッパ淵
伝承園の駐車場から歩いて行くことができます。
伝承園
伝承園は、遠野地方の農家のかつての生活様式を再現した観光施設で、伝承行事、昔話、民芸品の製作・実演などが体験できる。
同園一番の見どころは「菊池家曲り家」であろう。1750年ころに建てられたこの住居は、最も古い時期の南部曲り家と言われており、遠野市小友町にあったものを移築してきている。
菊池家の曲り家は当初、「直家(すごや)」と呼ばれる長方形の住居として作られたが、その後台所部分と馬小屋が増築されてL字型の「曲り家」へと変わっている。直家から曲り家へと変化していった過程を知ることができる貴重な建物で、国の重要文化財に指定されている。
曲り家の母屋部分の奥に渡り廊下が作られており、オシラ堂へと続いている。オシラ堂は馬、農業、蚕の神様と言われているオシラサマを千体展示しているお堂である。
遠野物語第69話には、オシラサマについて次のように書かれている。
「昔、農家の娘が飼っている馬に恋をした。これを知った娘の父親は怒り、馬を殺してしまったという。娘が泣きながら馬にすがっていると、馬と一緒に天に昇り『オシラサマ』になったという」(※意訳しています)
伝承園で「これはいい!」と感心したものがある。
写真の「湯殿」である。湯殿とは今でいう「お風呂場」のことで、伝承園にあったものは離れのように独立していた。
いったいこの湯殿の何に感銘を受けたかというと・・・。
写真にある湯船の奥、窓の左下の壁から筒を縦に割ったようなものが突き出ている。
これはいったい何だろうと思って、外から見てみると・・・
湯殿近くにある井戸とつながっていた。
上の写真がそれを撮影したもので、奥にある小屋が湯殿、手前にあるのが井戸である。
湯殿の壁から突き出ていたものは、井戸から湯船に水を引く樋(とい)だった。
井戸のすぐ脇にはポンプがあり、これで水を汲み上げると樋を伝って湯船に水が溜まる仕組みだ。これには思わず「いいね!」と言いたくなった。
伝承園には、これらのほかにも遠野物語の話者、佐々木喜善氏に関する資料を展示した歴史民俗資料館や工芸館、水車小屋などがある。また一日に数回、語り部による民話を聞くこともできる。
伝承園
福泉寺
福泉寺は大正元年に開かれた真言宗のお寺で、木彫りとしては日本で一番大きな観音像があるというので訪れてみる。
観音像は、小高い丘の上に作られた大観音堂内にまつられている。丘の登り口には山門があり、門の手前に大駐車場がある。この駐車場に車を停めて大観音堂へと続く歩道を登って行くことになる。しかし、大観音堂にも5台ほど駐車するスペースがあるので、もし空いていれば丘の上まで自動車で車道を登って行くこともできる。
歩道、車道いずれも登りきると同じ場所にでる。登りきった所にある朱色の欄干の階段の先に大観音堂がある。
大観音堂に安置されている日本一の観音像は、お寺の住職が1週間の断食を100回行った上、20年の歳月をかけて作ったという。像は高さ17m、重さ25トンある。大観音堂内にいたお寺の方に聞いてみると、観音像は樹齢1200年の松の巨木を一本彫りしたものであるとのことだった。
(※観音像は撮影禁止でした・・・)
福泉寺
<【東北の名所】民話の里・遠野 ~その3~ へ続く>
※その3では、国の重要文化財「南部曲り家 千葉家」などをご紹介します。