海底の砂地が見える美しい海に、小島のような大きな岩が連なる風光明媚な海岸がある。岩手県宮古市の浄土ヶ浜だ。江戸時代のお坊さんが、この地の景色を見て「さながら浄土のようである」と感嘆したことから名づけられたと言われている。この美しい浜も津波によって、大きな被害を受けたという。5月31日、浄土ヶ浜を訪れてみる。
浄土ヶ浜ビジターセンターにて
浄土ヶ浜には、一般の自動車は乗り入れることができない。そのため、近くの駐車場に停めて、浜まで歩いて行く必要がある。駐車場は第一から第三まであり、私は、第一駐車場に停めた。同駐車場には、ビジターセンターが併設されており、浄土ヶ浜につながる遊歩道が、センターの建物裏手にあるというので、同館に入ってみる。
開館したばかりの早い時間帯だったせいか、館内には人が少なかった。私は、浄土ヶ浜に続く遊歩道の場所を聞こうと思い、展示室の奥にあった事務所スペースの入口付近で、
「すいません」と、中に向かって声をかけた。すると、奥から感じのいい若い男性があらわれた。
「浄土ヶ浜への遊歩道があると聞いたのですが・・・」と尋ねてみると、若いお兄さんは、
「そこの階段を下りると、遊歩道に出れますよ」と、にこやかに教えてくれた。
以前、津波の影響で、遊歩道が壊れていたことを聞いていたので、現在、通れるか聞いてみると、大丈夫とのことだった
壁に目をやると、震災当時の写真が展示されている。お兄さんに、天気や浄土ヶ浜について少し聞いた後に、「浄土ヶ浜も津波の影響は大きかったのですか?」と尋ねてみた。
同浜が津波の被害を受けていたことは知っていたが、やはり直接、話を聞いてみたかった。お兄さんは、震災当時のことを話してくれた。
ビジターセンターのお兄さんに聞いた話
「震災時、この浄土ヶ浜にも12~13mの津波が襲ってきました。震災前に撮影したこの島、写真では緑で青々していますが、今は、津波で海水をかぶり、松の木が色あせているんですよ」と言って、一枚の浄土ヶ浜の写真を指差して教えてくれた。
12mや13mといった数字よりも、波をかぶったという小さな島の写真は、津波の高さを理解しやすかった。
これほど高い波が、昨日泊まっていた宮古市街を襲ったのかと思うと、背筋が寒くなるものがあった。インターネット上にある動画で、ある程度は見ていたものの
「宮古市街も、被害が大きかったのですか?」と聞いてみた。
お兄さんは、津波に襲われた市街や宮古漁港などの話や、津波がどのようなものだったかを語ってくれた。
私は、復興の進み具合について、どう感じているのか聞いてみた。震災の被害を受けた地域から遠く離れた場所に住んでいると、震災についての報道も減ってきており、現地の状況がよくわからないからだ。
「復興しているという感じは、まったくありません。恐らく(被災地に住む)ほとんどの人は復興を実感していないと思いますよ。いまだ仮設住宅に住んでいる人はたくさんいます。」と答えてくれた後、
「この先の山田町など、ご覧になりました?」と逆に聞かれた。
「浄土ヶ浜の後に、行く予定です」と私が言うと、
「ぜひ、山田町や大槌町を見てきてください。復興とは程遠い現実があります。津波の被害は、宮古市を境に北と南で大きく異なっています。北は比較的高い場所に街があったために、南部と比べると、被害の小さい所が多いようです。しかし、宮古市より南は、街が低い場所にあり、大きな被害を受けているところが多いです」と言ったあと、
「先ほど、(宮古市の)復興は進んでいないと言いましたが、宮古市は、近くに避難できる高台があり、盛り土を行っていないから、まだ早い方です。陸前高田市などは、土地のかさ上げをしなければいけないので、復興はまだ全くの手つかず状態です」と教えてくれた。
お兄さんの話では、土地のかさ上げ工事に、とても時間がかかるとのことだった。
もう少し話を聞きたかったのだが、お兄さんの仕事の邪魔をすることに加え、その日の予定のことも考えて、浄土ヶ浜に向かうことにした。
最後に、第一から第三駐車場のうち、どれが浄土ヶ浜に一番近いかを聞いてみた。すると、お兄さんは、第一が近いことを教えてくれた後に、こう言った。
「第三駐車場は今、仮設住宅になっています」
私は、ビジターセンターの階段を下りて、浜へとつながる遊歩道にでた。
<浄土ヶ浜で聞いた震災についての話 ~後編~ へ続く>
浄土ヶ浜ビジターセンター
参考WEBサイト
Text & Photo:sKenji