今ではなく、未来のための植林事業

新緑が眩しいこの季節。毎年この時期になると、樹木の美しさとありがたさを特に再認識をする。筆者が勤務する会社の近くにも、緑豊かな公園があり、ここ最近、一段とその美しさが増してきている。昼休み、公園の前を通ると、以前テレビのニュースで知った、清水寺の植林事業についての話を、ふと思い出した。

清水寺の植林事業

「清水の舞台」で有名な京都・清水寺。同寺では、建て替えに必要な木材を確保するために、数年前に植林を行い、育成をしている。

驚くべきことは、その植林事業の長さである。清水寺では、なんと400年後の寺の大改修に備えて、木を植えている。

一般的に樹木が、建築材として使用できるようになるには、だいたい針葉樹で40~60年、広葉樹で150年~200年かかると言われているが、清水の舞台には、樹齢400~500年のケヤキの大木が必要だという。

奈良時代に創建された清水寺は、建築後、幾度となく焼失し、現在のものは、江戸時代初期の1633年に再建されている。本堂だけで計168本もの柱が使われており、高さ13m、広さ100畳の清水の舞台は、18本のケヤキの巨木で支えられているという。ケヤキ材の耐久年数は、長く保って樹齢の2倍程度だといわれ、現在、清水寺で使用されている柱は、樹齢400年程度である。そのため約400年後に大規模な改修が見込まれている。

今ある清水寺が再建された江戸時代には、樹齢の長い大木を入手できたが、現在、国内にはそのような木が枯渇しており、このままでは、立て替えることができないという。そのため、清水寺では山を購入し、6000本のケヤキとヒノキを植えて、育てている。

清水寺

高田松原の復旧事業

場所は変わって、岩手県・陸前高田市。同市の海岸には、長さ2キロにわたって、約7万本のクロマツで有名な高田松原があったのだが、東日本大震災の津波で大きな被害を受け、失われてしまっている。その高田松原の復旧事業が始まろうとしている。事業は、東西2キロに渡って整備される第一線堤(高さ3メートル)と第二線堤(同12.5メートル)の間の12ヘクタールに盛り土を行い、そこに松を植林するというものである。同事業で行われる大規模な砂浜の造成は過去に例がなく、松が順調に育つか懸念もされているが、うまくいけば、約50年ほどで元のような、松林になるという。

現在、植林に向けて、陸前高田市にある非営利団体「高田松原を守る会」が、震災前に同市で拾われた松ぼっくりの種から、苗木を育てている。苗は、今年1月時点で、約6500本にまで増え、それを植える計画だという。

高田地区海岸災害復旧事業 事業概要(出典元:岩手県公式WEBサイト)

陸前高田市

未来のために

遠い未来を見据えた植林事業は、清水寺や高田松原だけに限らない。昨年、20年に一度の式年遷宮を執り行った伊勢神宮でも、大正時代に、200年後を見据えたヒノキの植林が行われている。今、国内の林業は衰退しているという話も聞くが、その歴史は古く、日本では少なくとも室町時代には、本格的な植林が行われていたという。

気が遠くなるような長い時間を要する植林は、その結果を実感することが、なかなかできない事業かもしれない。しかし、それでも、今のためではなく、未来の世代のために植林を行っている方々と事業に対して畏敬の念を覚える。

新緑が美しいこの季節。普段、何げなく目にしている樹木や森について、改めて考えてみるのもいいかもしれない。

参考WEBサイト

Text:sKenji