大きな四発のジェットエンジン。巨大な垂直尾翼。そしてなにより二階席のある独特の風貌。ジェット旅客機の代表格として40年以上も世界の空を駆け巡ってきたボーイング747、ジャンボジェット。
3月31日の全日空羽田・那覇間の往復を最後に、日本の民間航空会社での運用が終了。
ジャンボジェットの初号機、「City of Everett」がボーイング社の工場からロールアウトしたのは1968年9月30日。初飛行は翌1969年2月9日のこと。500人近くの乗客を乗せることができるという巨大旅客機の誕生は大ニュースで、工場からロールアウトしたシティ・オブ・エバレットの写真は少年マンガや学研の小学生雑誌にも掲載された。
日本の空への就航は、世界の名だたる航空会社と同じく1970年から。その年にはTBSでスチュワーデスを主役とする腐朽の名作ドラマ「アテンションプリーズ」が放映される。機体の存在感やかっこよさに加え、人気ドラマに毎週この飛行機が登場することで、ジャンボは乗ったことはもちろん、その機体を見たことすらない全国の地方都市のこどもたちの間にも知れ渡って行く。
人類が初めて月へ向かうアポロ計画。ジャンボジェット。そして1970年の大阪万博。この3つはこの時代の少年たちにとって未来の象徴そのものだった。
なにせ、「♪ジャーンボジェットの作り方〜」なんてちょっとエッチな絵描き歌まで、たぶんおそらく口コミで広まっていったのだった。
日本の航空会社では747の初期型である100型から、短距離で離着陸が多い国内線事情にあわせて開発されたSR型、主翼の翼端にウィングレットが取り付けられエンジンも換装、さらにアビオニクスの更新で機長、副操縦士の2名運行を実現した400型(ハイテクジャンボ)まで、時代や市場の特性に合わせて数多くの機種と機数のジャンボが導入されてきた。
国内線でも千歳-羽田-大阪-福岡-那覇のいわゆる幹線を中心に、1980年代から1990年代にかけて、運行する機種の多くがジャンボ機という時代があった。
もちろん国際線では、大型機ならではの長大な航続距離から、海外へ飛ぶ旅客機といえばジャンボという時代が長く続いた。2000年代に入ってからのことだが、アメリカに行く際、自分が乗るのがエンジン2発の777だということが判明して、ボーディングブリッジで思いっきり不安な気持ちになったことを思い出したりもする。
ジャンボは安心の象徴でもあった。(もちろん悲劇的な事故もあったが、四発機であるということ以上に、ジェット機=ジャンボというイメージが強かったのだと思う)
さらに「リッゾチャ」や「ポケモンジェット」のボディペインティングが施される機体としてもジャンボの存在感は格別だった。ペイントは767などでも行われたが、やはり客室二階建て部分があって側面の面積がでかいジャンボは、同じペイントが施されても迫力が違った。
40年前の少年たちが感じたかっこよさとは微妙に違ったとしても、ジャンボはいつもその魅力をこどもたちに感じさせ続けてきた。
ここで、ボディにペイントが施された機体の写真とか、ボーディングブリッジの窓ガラスの向こうにデカく聳える機首の写真とか、懐かしいものをずらっと並べるつもりだったのだが、いざ探すとなかなか出てこないものだ、残念。(写真は見つけた時に追加して行くとします)
民間航空会社での運行が終了したこの先見ることができるのは、今もまだ747を運用している海外の航空会社所属の機体か、日本政府の専用機くらいということになった。
空を見上げたとき、独特のシルエットと四発エンジンのおかげで一目でそれと分かったジャンボ。これからは青空に飛行機雲を曵いていく飛行機を見上げても、767か777かエアバスなのか遠目にはほとんど分からなくなってしまうのが、ちょっと寂しい。
でもまあ、個人的には少年時代からずっと「飛行機といえば747」な存在だったジャンボ。めったにお目にかかれなくなったとしても、ジャンボジェットは不滅なのです。
(きっと時々夢に出てくるんだろうな)
文●井上良太