ひとりぼっちで活動を始めたとしても、必ず一人は仲間がいる

雪かきボランティアで仲間になった長澤禎文(よしふみ)さんの書いたものを、
再々シェアします。

雪かきで掻いているのはただの雪ではないということ。
がれき拾いでひろっているのは被災物だけではないということ。

活動するという事実が状況を変えて行く。そう信じて行動する。前に向かって。

締めくくりの一言にはグッときます。

無理強いは好きではありませんが・・・。
〈ぜったい共感してもらいたい事〉

あなたの家族が道端で倒れて苦しんでいる時に、見て見ぬふりで通り過ぎる人ばかりだったとしたら、「なぜ誰も助けてくれなかったんですか?」と怒りが湧いてくるはずです。

以前仕事でAEDを販売しておりましたが、納品時に説明会を行うことがよくありました。

機能説明・取扱い説明を行った後で「ご質問はありますか?」と参加者の方に問いかけると

「もし助けられなかった時に責任を追及されるのでは?」
「人の生死に関わることに無責任に手を出せない」
「助けられなかった時にトラウマになりはしないか?」

等々、後ろ向きな意見が出ることもしばしばで、ひどい時には「こんなもの導入すべきではなかった」と言われることさえも・・・。

ご心配はごもっともかもしれませんが、果たしてそれでいいのでしょうか?

こんな時私は「いいですか、目の前で倒れている人が自分の家族だったらと考えてください」「何もしなければ助からない命なんですよ」と販売業者としてではなく一人の一般市民として『目の前の困っている人をどうするか』という観点でお話をしておりました。

今の話はAEDに関することでしたが、今回の雪害にしても震災にしても同じことが言えますし、もっと言うとそれぞれお住まいの地域における様々な活動においてもまったく同じことが言えると思うのです。

私、平成18年度に小学校の、そして平成24年度には中学校のPTA会長を務めさせてもらいましたが、はっきり言ってPTAの雰囲気は凄~~く嫌いだった。

役員・運営委員の多くが『やらされている感』や『やってやってる態度』、そして『早く役員やっちゃた方が得だよ』という損得勘定で参加しており、「去年と一緒でいいよ」「必要以上のことはやらないほうがいいよ」という風潮がとても強かった。保守的で子どもたちを取り巻く環境をよりよいものにしようという前向きさはほとんどなかった。

今私のやろうとしていることは『地域全体で子育てができる環境づくり』です。子どもを持つ親御さんはもちろん、子どものある人ない人、おじいちゃんおばあちゃん、、、すべての地域の方が地域の子ども全員を我が子のように思いやれる環境づくりです。

この環境ができれば自ずと災害時の連携もうまくいくでしょうし、なにより子どもたちの心が豊かになると思うのです。日ごろから年齢を超えて互いに思いやれる関係になっていれば、最初に書いた目の前で苦しんでいる人を『当たり前』に助けられる人に育っていくと思うのです。

今回雪かきボランティアに参加した際にご一緒させていただいた、とある団体の方が着ていたジャンパーの背中には『できる人が できる時に できる事をする』という文字がプリントされておりました。

自分の家族がもしもの時には助けてほしいという気持ちがあるのなら、たとえ1日5分でも1か月に5分でも1年に5分でも構わないから、『できる範囲で人の為になる事をやってみませんか』。皆がそうやって活動すれば自分の家族を気遣ってくれる人も増えるはずです。

人任せにするだけでは何も始まりません。

まずは将来ある子どもたちのためと思って、小さなことでいいから何か一つ踏み出してみませんか。自宅の前のゴミ拾いをすることも『子どもたちが歩く歩道をきれいにする』事にもなるのです。

私は一人でも行動しますが、けっして一人が好きなわけではありません。行動を起こす人すべてが仲間だと思っています。ひとりぼっちで活動を始めたとしても、必ず一人は仲間がいると思っていてください。(^v^)

引用元:長澤禎文さんの投稿 |Facebook

長澤さんは穏やかな雰囲気で、半径10メートルくらいを安心感で満たしてくれるような人。温厚とか信頼といった言葉がぴったりの人。

しかしガテン系ボランティアの時には、別人のようになる。チームのペースメーカーとしてガンガン作業を進める。しかも穏やかで温厚な雰囲気はそのままに。

そして、喋り出すとこんな話だ。たまんない!

こどもの環境、災害時の連携、さらに言うなら世界平和――。それは声高に義を唱えるだけでなく、当たり前の行動で世界中を埋め尽くしていくことによってこそ実現できるのではないか。長澤さんに出会ってから、そんなことをよく考える。

再々シェア●井上良太