時々でもいいので、思い出してください。
2年11カ月が過ぎました。あれからもうすぐ3年になります。
あの頃、連日テレビに映されていたあの町や村、避難所やがれきだらけの場所にたたずんでいた人たちが、いまどうしているのか。時々でもいいので、思い出してください。
移動支援 Rera さんのブログ
2011年4月から、ご自身での移動が困難な住民の方を病院などへ送り届ける送迎ボランティア活動を続けている「移動支援 Rera」さんのブログをご紹介します。
たとえば人工透析の患者さんは、週に3回、2日に1度病院で透析を受けなければ命にかかわります。移動支援 Rera さんの送迎数は限界に達しそうです。スタッフのミーティングでは「せめて仮設住宅のあるうちは……」という言葉が出てきます。この意味、わかりますよね。スタッフの中にも仮設住宅に住んでいる人がいます。利用者の中には高齢の娘さんがもっと高齢の親を老老介護した後、一人になってしまった方もいます。
一部だけ引用させていただきます。続きはぜひRera さんのブログをご覧ください。
いつも車の中で大泣きする利用者さんがいます。
大きな仮設団地に一人で住んでいるのですが、隣近所と交流がないため、水道が壊れた時にだれに頼れば良いかわからず遠くに住む娘に電話をかけて来てもらったそうです。娘さんも忙しく、「もう施設に入って」と言われた、とのことでした。
皆が余裕を失っています。
また、高齢の娘がもっと高齢の親を老老介護していた後、一人になってしまった方が、
「自分の病気もさっぱり良くならない。もう自分も死んだ方がましだ。」
と嘆いていたそうです。車内では地元スタッフが、
「おらたづはあんたに良ぐなってもらいたくて送迎してんだよ。ほいな事言わねで良くならいん(良くなってよ)。」
と声をかけたそうです。
震災から間もなく3年が経とうとしている今になって、送迎の車で震災後初めて、被災の大きかった南浜を走ったという利用者さんがいました。
「何もなくなっちまったなあ……。」
と呟いていたそうです。
時間が止まったままの人たちがいます。
石巻海さくらの高橋さん、TSUNAGARI代表の勝又さんのフェイスブック
何度も紹介させてもらっている「石巻うみさくら」の高橋正祥さん、長須賀ビーチの再生やサンタプロジェクトを手掛けている勝又三成さんの本業はダイバーです。
高橋さんのフェイスブックに勝又さんが書き込みました。
女川町 塚浜にて
奥さんを津波で亡くされ
未だ行方不明。
遺族の方の依頼で 海中行方不明者捜索をしてきました。
衣類や鞄はもちろん
【財布】【骨2本】
発見しました。
女川交番 に届けてきました。
遺族の方も 【骨、財布】が見つかった事にとてもとても希望を感じてらっしゃってました。
やはり
続けなくてはならない。
湾内は瓦礫が集まり
探せばみつかる
宮城 行方不明者捜索チーム
いまでもボランティアによる海中捜索は続いています。今回のように遺骨や遺品が見つかることも珍しくありません。
行方不明の家族の帰りを待っている人たちがいます。
寄り添いたいと厳寒の海に潜り続ける仲間たちがいます。
高橋さんも石巻海さくらのフェイスブックに書き込みました。
本日、女川町・塚浜にて七十七銀行女川支店遺族会よりご依頼を受け、行方不明者の捜索をしてきました。
南三陸町でボランティア活動をしている“TSUNAGARI”代表の勝又さん、スタッフの石田さんにも御協力をいただき、かなりの強風と寒さの中ではありましたが、限られた時間の中で少しでも多くの手掛かりを…と捜索しました。
多数の衣類や履物類やバッグの他に、複数本の骨と財布を発見しました。
骨につきましては、人間の物か判別されるまで多少の時間がかかるとのことで、分かり次第また御報告させていただきます。
財布は、中に持ち主ご本人を特定出来るCard、診察券が残されており、すぐに役場に問い合わせたところ御無事で居られる方の物だということが判明しました。この方が被災された場所から今回の発見場所との距離・潮流などを考えると、また新たな可能性や継続的な捜索活動の必要性が生まれました!
大事な大事な一歩だと、我々は思っています。
今後も石巻海さくらでは、ご遺族の方々と共に歩んで行きます。まだまだ待って居られる方々やその御家族の方々、
多くの仲間や御協力・ご支援をいただいている皆様と共に
、一歩一歩進んでいこうと思います。
(写真7枚)
フェイスブックもご覧ください。写真も多数掲載されています。
心を近づけていただけたら、うれしいです。
高橋さんのダイビングショップ「宮城ダイビングサービス・ハイブリッジ」で、女川町に住む57歳の男性がダイビング技術を学び、潜水士の資格を取得しました。目的は、
妻を捜すため。
東北地方のブロック紙「河北新報」で紹介されています。
雪に負けないで。
石巻で降った雪は91年ぶりの大雪だったそうです。道も町も家々も雪に埋もれ、ドアが開かないという書き込みがフェイスブックやツィッターで飛び交っていました。
東北とはいえ海沿いの石巻は、それほど雪が積もる土地ではありません。積雪後の町の様子を「石巻百景」さんがたくさんの写真で伝えています。
そんな大雪の中で頑張っている人たちがいます。たとえば、こども∞感ぱにー(こどぱにー)さん。
2月10日
◯鹿妻小学校の生徒さんの通学路づくり
とういうわけで、やっちゃいます^_^
がんばろう!石巻の会さんは、
2月11日
とりあえずの通路完成しました。
道路から「がんばろう!石巻」の看板前まで歩ける通路を確保しました。
月命日の11日。がんばろう!石巻の思いを確認しに、この地を訪れる人たちのための除雪です。黒澤さん、佐藤さん、メンバーのみなさん、ありがとうございました。
そして次の日。がんばろう!石巻の会のフェイスブックに載せられたのはこの言葉。
今日の夕日は綺麗でした。昨日は2年と11カ月、来月11日でまる三年になります。
苦しかったり、悲しかったりだけど生きている。
日々をもっと大切に生きよう。と、夕日を見ながら思いました。
時々でもいいので、思い出してください。
苦しかったり、悲しかったりだけど生きている。
日々をもっと大切に生きよう。
――私たちの仲間たちの言葉です。
こちらのリンクもご覧ください
文●井上良太
震災の直後、がれきや泥に町も道路も埋もれていた頃から、石巻を中心に生活を支える活動を続けてきた Reraさんのホームページです。