ガレキと呼ばないで(時計)

被災した地域に行くと、いまでも時計を見つけることがよくあります。

女川町(2012年11月19日)

女川の町なかと石巻を結ぶ女川街道のすぐ近くに残されていた時計です。
震災から1年8か月後。建物の解体や撤去が進んだ女川町でも、こんな生活の遺産が見られました。

「時」を示すパネルが1枚壊れていますが、示していた時刻は3時27分。津波がやってきたのとほぼ同じ時刻です。

宮城県女川町の住宅地

女川湾から鷲神浜付近へ押し寄せた津波は峠を越えて万石浦方面まで流れ込んだという

津波被害に遭った小学校にも止まった時計が残されています。

谷川(やがわ)小学校(2012年11月23日)

校舎の中に残されていたチャイムを鳴らすための時計です。

やはり津波が到達したとされる時刻を指し示したまま止まっています。

牡鹿半島・大谷川浜の谷川小学校

宮城県石巻市立谷川小学校は、地元の人たちの助けで高台に避難し、人的損害はなかった。校舎は解体され、敷地には生コン工場が建てられた

雄勝小学校(2012年11月20日)

壊されて、時刻を読むこともできません。

雄勝小学校

石巻市立雄勝小学校。すでに解体されている

湊小学校(2012年11月28日)

校舎の時計はピカピカでまるで新品のように見えますが、プールの時計と同じ時刻で止まっていました。津波がもっとも高かったと言われる時間です。

湊小学校の校庭に立っている二宮尊徳さんのブロンズ像は、書物を持つ左手がとれてしまっていました。幸い、もともと組み合わせたところが外れただけのようなのでで、足元に置かれた左手はすぐにでも修復できそうに見えました。

石巻市立湊小学校

ドキュメンタリー映画「石巻市立湊小学校避難所」の舞台になった小学校。2014年4月に湊第二小学校と統合され、この校舎での授業を再開

門脇(かどのわき)小学校(2012年10月22日)

大火災に見舞われた門脇小の時計は、錆びついたベース部分しか残っていません。

石巻市立門脇小学校

迫り来る火の手から遁れるため、校舎に避難していた児童や地域の方たちが、裏山に教壇で橋を掛けて避難した門脇小。震災遺構としての保存の方針が固まったようで、現在は目隠しのためのカバーが掛けられている

大船渡市越喜来(おきらい)の「潮目」

震災で流された廃材などを組み合わせて作られた、まるで秘密基地のようなプレーパーク「潮目」。内部は大津波資料館となっていて、たくさんの時計が並べられています。いずれも越喜来の周辺で拾い集められた時計。小学校の校舎にあったもの、三陸中央公民館にあったものだろうか、「禁煙」と表示された時計、それぞれの場所で人々に時を知らせてきたたくさんの時計。ほとんどが同じ時刻で止まっている。

陸前高田市(2012年11月27日)

旧気仙町・今泉地区の諏訪神社の境内に置かれていた時計です。
指し示している時刻は3時23分。その前後に津波が到達したと言われる時刻です。

陸前高田市今泉の諏訪神社前

今泉は古くから気仙郡の中心だった土地。江戸時代から続く大肝入の豪壮な屋敷や、明治期からの古い商家が軒を連ねていたが。

時計が置かれた諏訪神社は、津波で鳥居や参道が破壊されたままです。

鳥居が竹で作られています。小高い山の上の神社へ登る階段の一部も木や竹で修復されています。

この場所は、映画「幸福せの黄色いハンカチ」の黄色いハンカチが贈られた場所のすぐ近くです。

(この日は2012年の初雪でした)

陸前高田気仙町(2013年4月17日)

雪の日から約半年。あの腕時計にまた会いました。同じ時刻を示したままです。


被災地で針の止まった時計を見るたびに思い出してきた物語があります。

それは何十年も昔、小学校の夏休みの「全国課題図書」に指定されていた一冊の本。長崎の原爆のことを記したおおえ ひでさんの「八月がくるたびに」という物語です。
若き日のゲージツ家・クマさんこと篠原勝之さんがイラストと装丁を担当した作品でもありました。

 ○とけいがとまる。まい日とまる。

 ○どの室(へや)かに、耳のとおいおばさんがいる。ぼくはおもいだした。やけあとを、あるいていた、目の大きなぼうや。あのときは、ぶあいそで、ごめんな。
 ぼうやのとけいが、とまったらしい。

 ○きぬえのとけい、とまるな。とまるな、とまるな。

引用元:おおえ ひで 作『八月がくるたびに』 理論社

中学に入学したばかりの、きよしという少年が死んだあと、残されたノートに記されていた言葉です。

時計の話の前には、効くはずがない煎じ薬のこと、見舞い(視察)にやってくる外国人に会うのがいやだということ、きぬえが来ないことが心配だということ、そして青空を恨む言葉がつづられています。

きよしの言葉は決して長いものではありませんが、すべてが「とけい、とまるな」につながっているように思えて、なぜか覚えていて、そして被災地でたくさんの時計を見るたびに思い出したのです。

何十年も前に読んだ課題図書をなぜ思い出したのか、自分でもよくわかりません。

ただ、「とけい」という言葉と、止まった時計という物の中に、いのちが失われることをおそれる気もちと、失われた命をうやまう気もちが、結晶しているように感じているのは確かです。

物にはあきらかに言葉が宿っています。宿る言葉は読み解いてもらいたくて待っているように思えます。被災した物を「ガレキ」と呼ばないことは、そこに生きてきたひとの声を聞こうとするための一歩です。それは次の災害から生きのびる方法を、自分事として考えるための大切な一歩でもあると思うのです。

●TEXT+PHOTO:井上良太(株式会社ジェーピーツーワン)