東日本大震災・復興支援リポート 「大槌町の1年半」

2012年10月25日、大槌町の風景

「3県沿岸部の市町村別津波浸水人口に対する死者・行方不明者数の比」という統計がある。津波被害の激甚さを示す数値なのだそうだ。数字が意味するところを思うと、この手の統計の必要性がどれだけあるのか自分にはよく分からないが、東日本大震災でこの数値が10%を超えた自治体は3つある。

宮城県牡鹿郡女川町、岩手県陸前高田市、そして岩手県上閉伊郡大槌町である。

震災から1年7カ月が経過した大槌町の様子を写真でご覧ください。町なかのがれきは減ったが、撤去されたがれきはただ別の場所に移動しただけ。

更地になった町を歩いても、ボランティアや工事関係者以外、ほとんど出会う人はなかった。

右奥に見える建物は、かろうじて壊れずに残ったビジネスホテル。 壁にペイントが施され、ボランティアのベースキャンプとして活用されている。
命のある花だからこそ、バラもトルコ桔梗もしおれていく。背後のビルは、上の写真と同じビジネスホテル。
あまりにも激しく破壊された町では、ペイントされたビルがまるで新しいランドマークのよう。
墓地の被害も大きい。大槌のこの墓地ではほとんど修繕の手は入っていない。
JR山田線の橋梁は流されたまま。
秋の夕日が山に隠れる中、堤防では測量が行われていた。津波からは1年7カ月が経過している。
ウソみたいに波打つ堤防の天板。コンクリートで囲まれた内部の土が津波で削られ、危険な状態だ。
繰り返しになるが、津波からすでに1年7カ月が経過している。
堤防の向こう側、海沿いの低地はがれき置き場になっていた。

大槌町のがれきについては、こちらのページもご覧下さい。

●TEXT+PHOTO:井上良太(株式会社ジェーピーツーワン)