いわき市から太平洋沿いに国道6号線で北上すれば、南相馬市までは2時間ほど。それが原発事故で立ち入りできない部分があるせいで、大きく内陸部を迂回しなければならない。いわきから郡山へ。郡山から国道4号を本宮、二本松と北上して、福島市に入ったあたりから川俣町、飯舘村を経由。最後には八木沢峠のびっくりするような急坂を乗り越えて、倍以上の時間をかけてようやく南相馬にたどり着く。
南相馬でも会いたい人、行きたい場所があったのだが、今回は先を急ぐことにした。
2012年10月21日の南相馬
南相馬市、原町区の中心地を通り抜け、東へ(海の方へ)走って行くと、かつては田んぼの中に集落が点在していた土地。いまは何もない、ただただ広い平原のような場所の向こうに、特徴的な人工の山が見えてきます。
瓦礫の山です。いまでは草まで生えてしまった瓦礫の山です。
瓦礫の山の手前の信号機ですが、電線が一本だけなのを見ると、現在のところ電気がつながっている最末端の信号機みたいです。ここから先は自然の力に委ねられる土地ということなのかもしれません。うっすらと雑草が生えた瓦礫の山にはいつかの日か木も生えて、本当の山のようになるのでしょうか。
(余談ですが)
人間の手で作られた山は、大きさこそ違え、みんな似たような形になるようです。大型のショベルカーが山の上に登り、腕を伸ばして瓦礫を掻き上げるようにして成形するからでしょう、瓦礫の山はどこに行っても上が平らな台形です。
どこに行っても同じ形と云えば、半世紀前に炭鉱地帯に作られたボタ山と同じです。ボタ山は、炭鉱で掘り出したもののうち使い物にならない分(ボタ)が積み上げられたもので、どこのボタ山もほぼ円錐形をしていました。最初のうちこそボタ山は石炭のくずを積み上げただけのものでしたが、やがて草木に覆われて、本当の山のように見えるものも残されています。
珍しく南相馬に雪が降った1月に訪ねた時、地元の方が教えてくれました。
「南相馬では、現場で瓦礫を撤去する時に、木は木、コンクリート片はコンクリート片というように仕分けして、それぞれ別のダンプで仮置き場に集めて来たんだ。だから、集めた後に分別する必要がないんだよ。瓦礫の処分が早く進むといいな」
処理しやすいように分別されたコンクリートくずからも植物が生えていました。
緑豊かな農地だった場所が…
東北電力原町火力発電所前の県道の坂道を、南相馬市鹿島区方面へ下ります。
この坂を下ると広々とした稲作地帯だったはずですが、津波に襲われ、海砂や析出した塩で白っぽく変色した土地には、背の低い草が弱々しく伸びるだけ。楢葉町で群生していたセイタカアワダチソウすら見られません。
荒れ地にはびこるセイタカアワダチソウすら生えない土地で、農業が再生するにはどうすればいいのでしょうか?
●TEXT+PHOTO:井上良太(株式会社ジェーピーツーワン)