そのままの自然にそのままの文化。そこは「日本でもっとも美しい村」
宮古島と石垣島のちょうど真ん中に位置する多良間島。人口およそ1400人、小さな楕円形の島です。 もしかすると、気づくか気づかないか微妙なところかも知れません。見渡せばなんとなく感じるはずです。多良間の自然はひとまわり大きい。
それは海に潜った時に感じるかも知れません。それは自転車で集落を走った時に感じるかも知れません。もしくはゆったりと過ごす生き物たちに出会った時に感じるかも知れません。もしかすると、別に何とも思わない人もいるかも知れません。ただ、そんな人も島を遊ぶときは一度立ち止まり、ゆっくり360度見渡してみてください。自然と自身を照らし見ると、何か感じることがあるはず。 多良間島では自然観察がおすすめです。沖縄では唯一「日本で最も美しい村」※に加盟している多良間島(多良間村)は、その守られた景観や地域資源、生活様式が魅力。
サンゴ礁から成り立った島ですが、そんな土壌ながらたくましい育った木々には注目したいところです!14世紀ごろの中国より伝来し、風水の思想を取り入れて確立した風水村落。植樹された木々が数百年の歳月を経て、島の至る所でその力強さに磨きがかかっています。島には指定された名木や史跡が多数あるため、それを巡るのも面白いかも知れません。 また、海に目を向けると力強く伸びるサンゴも見ごたえ抜群!ダイビングが人気ですが、シュノーケリングでもその規模を堪能するには十分でしょう。
陸も海も、たとえ詳しくなくても楽しめることは間違いありません。 また、時間があれば島民の方々と、しかもできれば年輩の方々と話してみてください。「タラマグチ」と呼ばれる多良間島の独特の方言は、沖縄の中でも難しく、表記が困難と言われるほど。たぶん、よくわかりません。けれどもそれに耳を傾けるのもまた、コミュニケーションになったり。
”そのまま”の、陸に、海に、人々。そこに溶け込むだけで、なんだか楽しいはず。
※「日本で最も美しい村」
国内39の町村が加盟する連合で、人口や人口密度、地域資源やその活動が参加資格となり、一定の基準を満たせば参加可能です。フランスにおける「フランスで最も美しい村」活動を参考にしたそうで、2005年10月よりスタートしました。意外かもしれませんが、沖縄県内における「日本で最も美しい村」は多良間村の一村のみ。また、島を含む自治体は、多良間村のほか、上島町(愛媛県)、小値賀町(長崎県)、喜界町(鹿児島県)が加盟しています。離島ファンにとっては思わず「渋い!」と言いたくなる町村ばかり!!
(公式HP)
多良間島の見どころ
景色を楽しむ
水納島
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島周辺の海(場所)
海に潜れば恐らくサンゴ群落に度肝を抜かれます。「多良間の自然はひとまわり大きい」その意味をより理解するなら必ず海に潜るべきです。熟練のダイバーの中には「多良間の海が日本一」という人も。「手つかずの自然」と言いますが、「手つかず」という言葉では足りないほど。そんな大自然が広がります。
ふるさと海浜公園(場所)
島の外周はほぼビーチですが、中でも港に近く、人々で賑うのがここ。綺麗な貝殻が多く、泳げば小さな熱帯魚にも出会います。木陰に入ればのんびり過ごすにも快適で、お菓子でもつまみながらゆったりしてみるのもオツな時間に。トイレ・シャワーが備え付けられてあるほか、自動販売機もあるため、過ごしやすいのは言うまでもありません。
イビの拝所、ウェーンマ別離の像、シュンカニの歌碑(場所)
航海の安全祈願のために建立された拝所。ここからほど近い前泊港は、かつて島の唯一の港として利用されていました。そのイビの拝所のそばにあるのが、ウェーンマ別離の像とシュンカニの歌碑です。これは17世紀の中ごろより、島には島外出身の役人が3年任期で訪れるようになったことが発端。そういった役人には世話役の女性が付けられました。こうなると、やはり愛が芽生えて夫婦になるケースも多かったそうで、その女性のことをウェーンマと呼びます。やがて3年の任期を終えると、役人は帰らなけばならず・・・。ストーリーを想像すると、なかなか泣けてきそうなお話かもしれません。像が建つくらいですから、おそらくそういうケースの別れが何度かあったのだと考えられます。
この像はそんな「夫(役人)を見送るウェーンマとその子供」をあらわしたもので、その別離の哀しみを歌った「シュンカニ」の歌碑が横にあります。
宮古遠見台(場所)
海上を監視するために置かれた石積み。主に宮古島方面を見張るためのものだそうです。ここに遠見番が配置され冠船、進貢船、薩州船などの船が入港した際は、狼煙をあげて首里王府に通報する決まりがありました。そのほか、人頭税の時代には、穀上納物を載せた船を見送るときにも狼煙が上がったそうです。また、近海にはたびたび遭難船が訪れたため、それらの発見・救助にも役立ったとか。しかし、双眼鏡も無い当時を思えば、よほど目が良くなければ正確な仕事はできなかったのではないでしょうか。船の動きもそう速くはないでしょうし、重要な役割とは言え、暇と言えば暇な仕事かもしれませんね。
八重山遠見台、展望台(場所)
宮古遠見台から西南に500mほど離れた高台にあるのが八重山遠見台。宮古遠見台が北方・宮古島方面の監視の役割を担うため、名前から想像すると八重山遠見台は南方を向いていても良い気がしますが、同じく島の北側に位置します。ただ、こちらの方は標高34mとこの島では頂上にあたるため、当時としては見晴らしは良かったと思われます。現在となっては、横に展望台が建ったため、人々はここからの景色を楽しみます。まさに360度パノラマ。天気が良ければ水納島、さらには石垣島も見えるかも?
多良間神社(場所)
島の発展を願って建てられた島唯一の神社。16世紀に活躍し、多良間島の島主であった土原豊見親(んたばる とぅゆみゃ)を島の守護神として祀っています。
ウプメーカー(巨石墓)(場所)
上述した土原豊見親の墓。宮古島の豪族仲宗根豊見親に従い、1500年のオヤケアカハチの乱で功績をあげて、島主となりました。島主としては多良間島の開発に尽力しています。パッと見ると、小さくてとてもお墓に見えないのですが、近くにあるコンクリート製の滑り台が目印になっています。アーチ状の石造りの入り口が特徴的。当時の技術としてはかなりすごいお墓だそう。
フクギ並木(塩川御嶽)(場所)
多良間村の村木でもあるフクギが立ち並ぶ並木道。特にサンゴ礁隆起で標高の低い沖縄の島々では防風林の役割を期待されているそうです。塩川御嶽は信仰の対象として保護され、フクギが参道に植えられているのですが、どの木も貫録がありすぎるあまり、日中でも太陽の光が少し差し込む程度。神々しい雰囲気が際立ちます。
宮古市の森公園、謝恩の碑(場所)
宮古と名が付きますが、お隣・宮古島由来の名前ではありません。その昔、1859年(安政6年)のこと、江戸での務めを済ませた岩手県の商船善宝丸は、帰路の途中、台風に遭い方角も分からず漂流してしまいました。その日数はなんと76日にも及んだそうです。なんとか生き延びているものの心細く、食糧こそ多少あったものの限界もピークに。そんな時、見つけた島をどこともわからず上陸。それが多良間島の南海岸でした。7人の乗組員は恐る恐る上陸したものの、待っていたのは島民たちの手厚いもてなし。そしてなんと、1年後には無事、故郷の岩手県宮古に戻ることができたのだとか。島では、遭難船がたどり着くのもよくあった話ですが、2ヶ月強の遭難で生き延びたのですから、それはもう奇跡としか言いようがありません。