長嶋一茂というプロ野球選手がいたことは記憶に新しいのではないでしょうか。
ミスタージャイアンツこと長嶋茂雄の息子であることから、入団当初、スター候補生として脚光をあびていました。長嶋一茂は1987年のドラフト会議でヤクルト、大洋の2球団から1位指名を受け、抽選の結果ヤクルトスワローズが交渉権を獲得して入団にいたります。入団当初から、その身体能力の高さは目をみはるものがありました。遠投120メートルの強肩であり、100メートルを11秒台で走る俊足、バッティング練習ではホームランを連発していました。ヤクルト入団後、1988年にプロ初安打をホームランで飾るなど鮮烈なデビューを果たします。
本人によると「あれはまぐれ当たり」という言葉を残していますが、大器の片りんをうかがわせました。しかし、監督が関根潤三から野村克也に引き継がれると、途端に出場機会は減っていきます。野村監督いわく「一茂はミーティング中に漫画を描いている」とぼやき、長嶋一茂のやる気のなさと練習嫌いを見抜いて積極的に試合に起用することはありませんでした。1993年、父・長嶋茂雄が監督に就任した読売ジャイアンツに金銭トレードで入団。開幕からスタメンを勝ち取るなど初めてチャンスをものにします。1994年には持ち前のムードメーカーぶりを発揮してチームのリーグ優勝、日本シリーズ制覇にも貢献します。しかし、後に成績は下降して1995年には戦力外通告を受けてしまい、30歳の若さで現役を引退します。
現役時代、目立った活躍がなかった長嶋一茂選手。強い精神的なプレッシャーの中、理想と現実のギャップに苦しみ、入団2年目から悪夢を見るようになったといいます。「ベーブルースの精霊よ!降りてこい!」と本気で祈り続けた日々もあると聞きます。30歳からはストレスによるパニック障害の症状にも襲われました。引退後、「成績を上げたい一心でドーピングをしていた」と衝撃の事実も告白しています。しかし、そのスター性はズバ抜けたものがあり、いくら打てなくても長嶋一茂が試合に出場すれば一人で客を呼べたといいます。阪神甲子園球場ではセ・リーグ3万号にあたる記念ホームランをレフトスタンドに叩き込んでみたり、神宮でのヤクルト戦では途中出場ながら「4番サード長嶋」という輝かしい響きをコールされるなど何かと話題をさらっていました。
下記の成績は長嶋一茂選手と、巨人のエースとして18番を背負っていた桑田真澄選手の生涯打撃成績です。打席数が違うので一概に比較はできませんが、打率と安打数は投手である桑田選手が上回っています。バッターとしも天才と呼ばれていた桑田真澄。その桑田に勝るとも劣らない成績を残した長嶋一茂。この成績を見る限り、やはりただ者ではない気がします。
長嶋一茂 生涯打撃成績
765打数 161安打 打率.210 本塁打.18
桑田真澄 生涯打撃成績890打数 192安打 打率.216 本塁打.7