先日、面白そうな企画展の情報を得たので早速行ってきました。場所は富士山かぐや姫ミュージアム。頻繁に異なるテーマの展示が入れ替わり行われているので、密かに定期的に動向をチェックしているのです。
今回のテーマは「トイレットペーパー」。富士市を代表する工業製品であり、普段から欠かせない生活用品でもあります。展示物によれば、ここ30年間において全国の生産量のうち、富士市が3分の1程度を占めているのだとか。
トイレットペーパーがなかった頃は…
今はどのトイレにもトイレットペーパーがあって当たり前。であるほど浸透していますが、そもそもどのような過去があって現在に至ったのか見てみたいと思います。
少々言いづらい話になってしまいますが、遡れば昔は川で用を足していたとされています。川から流れてくる水でお尻を洗っていたのだそうです。一方、川のように水がない場所ではどのように対処していたかというと・・・。
その一つが新聞紙。ポイントは小さく切って手で揉むこと。そうすると紙が柔らかくなり、拭き心地がよくなるほか、親水性が増します。ただ、欠点はインクによって字が書かれていること。昭和前半の新聞はインクの定着性が低かったため、お尻を拭くとインクで汚れる場合もあったそうです。
また、古紙を水に浸して漉くことによってできた「浅草紙」も素材としては安価で手に入りやすいという理由から重宝されていました。
紙が使用される以前は細長い木の棒でも拭いていました。かがんで棒をお尻のところへ持っていくようなイメージですね。この棒を籌木(ちゅうぎ)といい、30センチものさしのような形状をしています。素材は杉、竹や麻がら、その他の植物の茎など。
一方、藁で作った縄も用いていたそうで、写真のように縄を張ったところをまたいで擦るようにして使っていました。
藁に関しては屋根や敷物に使われたり、野菜を育てるための肥料兼防寒資材になったりと当時も今も生活において欠かせないものであることは知っていましたが、このような使い方もあったのは驚きです。
さらには葉っぱも用いられていて、フキ、ナラ、シダ、柿、アジサイなど、幅広な葉や柔らかく破れにくいものなどが選ばれていたようです。(小さい葉っぱは束にすることで面積を増やして使う。)
葉っぱで拭くという方法はどこかで聞いたことがあります。こうして見ると毎日の生活に必要だからこそ、方法や素材はいくつもあってそれぞれがよく考えられた上でたどり着いた拭き方だと思いました。身近にある素材で何とかするという点も重要なことなのかもしれません。
トイレットペーパーの歴史
こうした時代を経て、トイレットペーパーでお尻を拭くようになったのは明治時代から。当時は国内で生産されておらず、ホテルや百貨店などの一部の施設で輸入品が使用されました。
大正時代に入ったあと、水洗トイレの普及にあわせて国内生産が始まりました。日本で最初に生産されたのは山口県の工場や東京の工場など諸説あるようです。
富士市域において最初に生産を始めた工場は不明。ただ関連する工場が創業したのは昭和に入ってからとなっています。
現在はいくつもの製紙会社でトイレットペーパーを生産している富士市ですが、企業の工場で生産される以前の昭和30年代後半から平成初期頃にかけては、各家庭が自宅で「巻き取り加工」を行っていた、というのが特徴としてあります。
製紙会社から原紙を買い取って、加工機でトイレットペーパーの形に巻き直す。こうした工程を経て、市内における多数の家庭から生産されたものが販売されていました。
トイレットペーパーを語る上で「最後に残る芯」も欠かせないものになっています。紙管(しかん)と呼び、印刷されているメッセージや会社名、製造番号等の情報も明記されています。
また、主に公共施設で見られるような芯がないタイプも最近は見かけることも増えました。(取り換え作業の省力化やトイレ詰まり防止などが目的)
トイレットペーパーがこれほど奥深いものだったとは知らなかった・・・。というのが正直な感想です。そして、万が一トイレなかったとしても慌てる必要はなく自然の中に代用出来るものがある。という知恵を借りたような感覚もあります。
何気なく使っている物、当たり前のようにある物でも歴史を辿ってみると思っている以上に発見を得られるのかもしれません。