娘と行く海老名の史跡巡り(と、もう一つの目的)

ある週末、娘と遠足に行きました。

場所は神奈川県の海老名市。

県外の人でも東名高速道路を走ったことのある方ならば「ああ、あのサービスエリアがあるところね」とイメージされると思います。

そう、あの海老名です。

今回お邪魔したのはそんな海老名の下記の場所。

国指定史跡 史跡相模国分寺跡・尼寺跡

史跡相模国分寺跡は、海老名駅の東側約500メートルの台地上にあります。周囲は開発によって、宅地化されていますが、跡地は歴史公園として整備、公開され市民をはじめ来訪者の憩いの場となっています。
また、一部伽藍の基壇や平面形が復元され、当時の様子をうかがい知ることができます。
尼寺跡は、国分寺の北側約500メートルのところにあります。尼寺の周囲も宅地が迫っていますが、金堂跡周辺は地域の広場として地元をはじめ、市民の方々に利用されています。

引用元:国指定史跡 史跡相模国分寺跡・尼寺跡|海老名市公式ウェブサイト

相模国分寺

相模国分寺は西に大山、丹沢系を望み、南北にのびた丘陵の県央のこの地に建立された当寺は、聖徳太子の17条憲法第2条、「篤し三宝を敬へ、三宝とは仏法僧なり。即ち四生の終帰、万国の極崇、何れの世、何れの人かこの法を尊ばざる。人甚だ悪しきもの鮮し、能く教あるをもて之に従ふ。それ三宝に帰せずんば、何を以って枉れるを直さん。との理想を、聖武天皇によって実現されたお寺です。

引用元:高野山 真言宗 相模国分寺

いずれも奈良時代からの古い歴史を誇る場所。

たまにはこういったところを見学するのもいいなと思って連れてきたのでした。

それでは、その時の写真を紹介していきます。

海老名探訪写真集

海老名駅前の様子です。ここからスタート。駅前はかなり盛り上がっています。ここには映っていませんがららぽーともあるんですよ。
かつて海老名に建っていたと言われる七重の塔のモニュメント。この塔は商業施設のど真ん中に立っているのですが、かつてはここは緑豊かな公園でした。
まず向かったのは国分寺。駅から10分ほど歩き、看板が見えてきました。
国分寺に入っていく道の角にどっかりと立つ「海老名の大ケヤキ」。神奈川県指定天然記念物で、樹齢300年以上(一説には500年以上!)と言われています。ちなみにこのケヤキ、かつてこの付近が海だった頃漁師が船を繋ぐために打ち込んだケヤキの逆さ杭が根付いたという伝説があります。
国分寺の入り口に到着です。階段の下でお寺に向かってお辞儀をしているお姉さんがいて挨拶してくれました。いつも通るたびにお辞儀しているのかもしれません。
お寺の内部を見回す娘。なにか面白い遊具がないか探していたようです。
国分寺の本堂です。荘厳な雰囲気を醸し出しています。
尼の泣き水供養塔です。こちらの伝説については下記をご参照ください。
国分寺の梵鐘。国指定重要文化財です。

ここからは国分寺跡です。

国分寺跡に到着。今は整地されているようですが昔は(30年ほど前)草ボーボーのただの原っぱで、つくし広場なんて呼ばれていました。今も呼ばれているのかな?
こちらは回廊跡。娘が丸い石を飛び移っていくアトラクションと勘違いしていました。(立ち入り禁止とかではないのでご安心を)
七重の塔跡。最初の方に出てきた七重の塔のモニュメントの実物がここに建っていたと思われています。
春の便りが。
休憩中に見上げた空に浮かんでいた雲。娘は左端の雲が人魚に見えたとのこと。
温故館では、海老名の歴史を学ぶことができます。かつては別の場所にありましたが今は国分寺跡の目の前に移転しています。
平安時代の国分寺の様子。
出土品も飾られています。

この地を訪れたもう一つの理由

とまあ、駆け足で見学をしました。天気も良くて歩いているだけでも気持ちが良かったです。

なお、ここを訪れたのはもう一つ理由があります。


この場所は自分が幼少時代からから20年近く過ごした場所。

引っ越してからなかなか足を運ぶ機会がなかったのですが、20年ぶりに戻ってみたくなって、娘と出かける口実で来たのでした。

離れてからは当時の思い出が記憶の奥底に眠ってしまっていましたが、かつて何度も何度も歩いた場所を歩いているうちに次々と懐かしい思い出がよみがえってきました。国分寺では隣の家の一つ年下の子と野球をして(住職に毎回怒られ)、つくし広場では暗くなるまでかくれんぼをして遊んで、暑い日は温故館で涼んで(長居しすぎて追い出されて)。

そんな自分にとっては「過去の場所」に娘と一緒に訪れた感覚がちょっと不思議でした。

二人でタイムスリップしたような感覚というかなんというか。

私の父はだいぶ前に亡くなりましたが、子供の頃どんなところに住んでいてどんな少年でどんな遊びをしていて、みたいなことを話してくれた記憶が全くありません。生きていた当時は全く気にならなかったけど亡くなった後、ふとそんなことを考えるようになりました。

もう少し色々話ししておけばよかった。たまに後悔します。

そんな思いを子供たちにしてほしくないという思いもあってこの地を訪れたのかも知れません。

定期的に戻ってこようと思います。

今度は息子と来ようかな。