北国の冬の朝

沿岸部の陸前高田にも雪の季節がやってきた。被災した町の中心部から少し山の方に入った大隅の仮設商店街のモニュメントの前に小さなスノーマンが並ぶ。作っていたのは、陸前高田で活動している支援団体の顔見知りの人たちだった。

思わず駆けよって雪玉づくりに参加しようと思ったら、背後から「雪が降ると洗濯物が困るのよね」という話し声が聞こえてきた。

たしかに。

たしかにと思ったのは、次のような話を思い出したからだ。たとえ気温が氷点下でも雪さえ降らなければ洗濯物を外に干すことはできる。洗濯物というのは不思議なもので、カチカチに凍ってもしばらく干しているとそれなりに乾いてくる。お日様と風に晒されて水分が蒸発するということなのだろう。(じっさい、底冷えする季節でも、仮設団地で洗濯物を屋外に干している光景はよく見かける)

もちろんパリッと乾くわけではないが、それでも部屋干しする時間は少なくなる。洗濯物を乾かすために暖房を使う時間も短縮できる。ところが雪が降ると、雪解けのしずくで洗濯物が濡れたりするから、洗濯物を外に干せなくなる。

江川達也風に言うなら、(ここまで0.3秒)と付け加えてもいい。洗濯に困るという誰だか知らない地元の女性の言葉が、雪玉づくりに駆け出しそうになった自分の気持ちにブレーキをかけた。

雪にはしゃぐなんて、まだまだ自分もビジター気分が抜けてないんだなと思ったからだ。

でもそれはおかしな話だった。雪国育ちの人たちにとって、雪玉づくりは子どもの頃からの懐かしい遊びだし、たとえ大人になってからでも雪にうきうきする気持ちがなくなってしまうわけではない。現に大隅の仮設商店街のモニュメント前にスノーマンを並べていた人たちには、東北出身の人もいたのだから。

でも、北国で暮らす人たちの中に雪をいまいましく思う感情が強くあるのも間違いない。雪がなければできない遊びがあるのと同時に、雪や寒さがあるからこその苦労もある。自分にとって初めての東北の冬に経験したことを、これから時々紹介したい。

冬の朝の閉じ込め事件

今回紹介するのは冷え込んだ朝に経験するちょっとしたパニック。

冷えきった布団の中で目が覚める。ファンヒーターのスイッチを入れても部屋はなかなか暖まらない。とはいえ、なにかと慌ただしい朝のことだから気合いで起き出し支度をして、菓子パンをもぐもぐしながら玄関のドアを開けようとすると、ピクリとも動かない。

まったく0.1ミリも動かないのだ。ドアのように見えるだけで、壁の一部になったのではないかと思ったほど。これには慌てた。もうここから出られないのではないかという不安。プチパニックだった。

とはいえ、動かないと思った0.3秒後には、引き戸のドアが凍結したのだと理解した。そしてほぼ同時に、震災後最初の冬に女川の仮設住宅で石田さんという女性に教えてもらった話を思い出した。

「震災前、町中で暮らしていた頃には経験したこともなかったんだけど、仮設住宅では引き戸のドアが凍って動かなくなるのよ。年配の人なんかには外に出られなくなったってびっくりする人も多い。ガッチリ固まってしまうと、大人でも容易には開けられないくらいだから。わたしはね、もしも火事の時にドアが凍結で動かなかったらって心配してるのよ」

これがそうなんだ。

これは確かに慌ててしまう。びっくりしてどうしていいのか分からなくなるだろう。もしも火事で逃げなきゃならない時にこんな状況になったら、プチじゃない本当のパニックになってしまうだろう。

しかし、白状しなければならない。凍結したドアに閉じ込められることを経験したことを少し喜んでいた。これぞ話に聞いた引き戸の凍結かなんて感動したくらいだ。(こういうのをビジター気分というのだろう)

でも、悠長に喜んでいる場合ではなかった。ドアがピクリともしない原因がおそらく凍結によるものだと分かったところで、それでドアが開いてくれるわけではないからだ。

アルミサッシの引き戸の扉はサッシ枠と溶接されたかのように引っ付いている。よくスキー場の駐車場なんかで自動車のドアが凍り付いてしまうことがあるが、それと同じでアルミの引き戸とサッシ枠が引っ付いてしまったのかもしれない。

スキー場の車なら、たいていの場合、ドアを力任せに引っ張るうちにやがてバリバリと氷が割れるような音がしてドアが開いてくれる。ところがこの玄関ドアの引き戸には、ドアロックと一体になった深さ5ミリほどの小さな凹型の取っ手があるだけで、ほかには手がかりが何もない。何かテコになるようなものはないかと考えてみたが、道具類を置いているのは玄関の外の風除け室。玄関を出なければ道具すらない、かなり追い詰められた状況だったのだ。

コツを覚えた後のちょっと寂しい気分

そもそも道具をテコに使ってこじ開けたりすればドアを傷めることになるから、そんな選択肢はなかったのだ。

ピクリともしない凍り付いた引き戸の前でしゃがみ込み、そして考えた。要するに氷を溶かせばいいのであればお湯を掛ければいいではないか。いやそれじゃ水浸しになってしまうし、こぼれた水が再び凍って、現状よりもさらに悲惨な氷漬け状態になってしまうかもしれない。

パニックとはつまりこういう状態なのだろう。

凍り付いた扉を開くというテーマに対して、まずは力任せにこじ開けようとする。次には氷を融かすことを思いつくが、方法としてはお湯しか浮かばない。息が白くなるくらい寒い部屋で目覚めてすぐにファンヒーターをつけたことを思い出すまでに、たぶん3分くらいはかかってしまった。

ファンヒーターを玄関前に移動してスイッチを入れる。ただし、ファンヒーターは電源がなければ動かない。延長コードがなかったので、引き戸のドアからは少し離れた場所になってしまったが、それでも凍ったドアに向けて温風を当てることに成功した。

効果てきめん。

サッシのアルミは熱伝導がいいから、しばらくするとドアの隙間の氷が目に見えて融け始めた。ファンヒーターを当てるという作戦を思い立つまでに要した時間より短時間のうちにドアは、開いた。

差し込む朝の日差しにうれし涙がこぼれる、なんてことはなかったが、心底ほっとした。そして疲れた。

引き戸が凍り付く原因は、戸車が行き来するレールに溜まった結露が凍り付いて、戸車を固定してしまうからだと知った。アルミサッシは結露がひどい。こまめに水滴を拭き取らないとレールが水浸しになってしまう。とくにドアサッシは面積が大きい上に縦長で、アルミの部分も多いから凍り付いてしまいやすいのだろう。

ファンヒーターやストーブを使わなくても、ヘアドライヤーで温めるだけでドアレールの氷は融かせることも知った。

対処法があると分かればプチパニックに陥ることもない。ドアの凍り付き方にもよるが、慌てさえしなければ手の力だけでも凍ったドアを開けられる場合も多い。

それでもダメな時には、ドアを少し持ち上げるようにして引けばドアを開けやすいというコツも覚えた。ドア全体がバリバリに氷結しているように見えても、横や上の氷はかんたんに割れる。ガッチリ固着しているのはドアレールの氷と戸車だけだから、戸車を持ち上げて、戸車で氷を割るようにすればドアは開けられる。どうしてもダメな時には、ヘアドライヤーで温めればいい。ほんの数分でドアは動くようになる。

コツさえ分かれば簡単な話だった。

しかし、ドア凍結の予防や凍結した際のコツなんかを知ってしまった後、どこか寂しさのようなものを感じている自分がいる。だからわたしはビジターだということなのかもしれない。

あ、外ではまた雪が舞いはじめた…