宮古市鍬ヶ崎「記憶の街」

岩手県宮古市の「シーピアなあど」に、宮古の港町、鍬ヶ崎(くわがさき)の町の模型が展示されている。シーピアなあどは道の駅とみなとオアシスを兼ねる全国でも珍しい施設。観光拠点としてイベントが開催されることも多く、休日には多くの人が集まる場所だ。

会場に展示されているのは2m×3m(実際の街のスケールとしては1km×1.5km)の、震災以前の鍬ヶ崎の姿を再現した模型。大学生たちが作成した建築模型に地元の方々が家の屋根の色を塗ったり、思い出に残る庭木などを設置したり、その場所がどんな場所だったか、どんな思い出があるかを書き込んだりするワークショップによって完成した「記憶の街ワークショップin鍬ヶ崎」。2013年秋に住民参加で完成してからも、ずっとこの場所に展示されてきた。

漁師町だった鍬ヶ崎ならではなのが海のすぐ近くから立ち並ぶ家並と岸壁はもちろん漁港の中にも浮かぶたくさんの船。ここにあるのは2m×3mの模型だが、かつての街の記憶が凝縮されている。

「玄関開けると目の前が海なのはもちろんだけど、裏口開けてもやっぱり海なんだよ」とか、「季節によって獲れる魚がある程度決まってるから、その時期になるとずっと同じものばかり食ってた。朝昼晩オール帆立の貝ひもとかね」

この土地出身の知人がそんな話をしていたのを思い出す。彼とは震災の数年前から音信不通になっている。伝手をたどったり名簿に当ってもみたが連絡はとれないまま。記憶の街の中に彼の実家がないものかと探してみるが見当たらない。

街の記憶の模型が展示されているシートピアなあどから、漁港をはさんだ対岸には、民家などの模型がまばらな場所もあった。

建物の模型がない場所に、海で泳いだ、貝拾ったなどと書き込みまれたプラ板がある。鍬ヶ崎から山道を越えていくと名所「浄土が浜」にのぼって行けるが、地元の人たちにとって漁港の外れのこの辺りも、小さい頃からたくさん遊んだ記憶の場所だったということなのだろう。

記憶や思い出が書き込まれた無数のプラ板が、街の模型を埋め尽くすようだ。しかしそれでもこのプラ板は地元の人たちの記憶のごくごく一部でしかないのだろう。街は形ある建物だけで造られているのではなく、人と人の思いや関わりで出来ていることが伝わってくる。

大学生たちが模型をつくり、街の人たちが完成させる「記憶の街ワークショップ」は被災した各地で行なわれている。次の機会には福島県いわき市の記憶の街を紹介したい。