放射性物質の採取からデータ公開まで

東京電力の事故原発の中で起きていること。その中で現状一番の問題が何かというと、高濃度に汚染された「水」(建屋内に溜まった滞留水、タンクに貯められた汚染水、フォールアウト=死の灰に汚染された物質を溶かしこんだ地下水、雨水として空から降ってきた後に汚染物質を溶かしこんだ雨水など、事故原発には多種多様な水がある)が原発の外にどれだけ漏出しているか。

放射能の分析現場を紹介するPRビデオ

言うまでもないことだが、目に見えない放射能を可視化するためには、サンプルを採取し分析し、それを整理して公表するという一連の流れがきわめて重要になる。その重要なプロセスについて紹介する動画が東京電力から公開されている。

そのビデオ、実に「絵」がいいのである。たとえばこんな感じ。キレイでしょ。

朝日が映える海の中にウェーダー姿の東電職員が入って、釣り用具でいうところのバッカン(折りたたみ可能なバケツ)で海水を採取している。作業している東電社員は命綱も装着している。海はかなり波高い。海水や風の冷たさも伝わっていく。大変な環境の中で作業を続けているということを映像が物語る。

採取の次のシーンは、前の映像とは違った意味で美しい。構図が実に整理されている。サンプルを採取している場所は。先日完成したばかりの海側遮水壁で海と地下水の流れをダムのように防いでいる内側「3,4号取水口間」だ(動画撮影時点では遮水壁の閉合は未完だと考えられる)。ここはかつて発電用の一次冷却水がタービンを回した後、冷却するための海水を3,4号機のタービン建屋に送り込んでいた海水取り込み口。「タービン建屋東側」あるいは「4m盤」と呼ばれるいわば港湾からの汚染水採取だ。

たしかにこの場所もしばしば汚染度が変動するという意味で、サンプリング検査の最前線ではある。

しかし、現在もっと注目を集めているのはサブドレンや地下水ドレンから汲み上げられた地下水のサンプリングであり、同様に太平洋に放出されている地下水バイパス揚水井からのサンプリングなのだが、絵柄が地味なのか、揚水井の場所を特定させたくないのか、あるいは他に理由があるのか、このビデオでは紹介されない。

そして、ナレーションとキャプションで繰り返されるのは、いかに作業員が「想い」をもって作業を行っているか――。

採取・分析のリアリティが伝わってこないビデオ

ビデオに登場して話している人たちは、いかにも信頼できそうな人たちだ。彼らの言葉にうそはないと思いたい。しかし、現在の事故原発関連で最もエッジの立っているテーマ、東電の分析は信頼できるのかとの疑念を晴らしてくれる内容にはなっていない。

たとえばサンプル採取について。

東京電力は「悪天候のためサンプリングを中止」ということを繰り返している。しかし近郊のアメダスデータを見ると、数ミリ程度の雨量でも「悪天候のため」の分析スルーが行われているのだ。

他方K排水路などでは、分析結果が高い数値を示した際に「降雨の影響と考えられる」という説明も行われる。

子供でも分かることだろう。東京電力は降雨と放射能の変動に何らかの関係があると知った上で、ある時はサンプルを採取せず(実際どうだかは分からない)、分析結果が高い時には、降雨のせいですと弁明する。明らかに矛盾した行為を繰り返しているのだ。それこそが、分析データを恣意的に扱っているのではないかという「不信」につながる原因だ。

しかしビデオはそんな具体的な疑問や疑義には答えてくれない。ひたすら、誠実に、まっとうに「想いをもって」作業して、正確かつ迅速に情報を提供していますと繰り返すばかりなのだ。どこかの国の政権のアナウンスメントに似て見える、とまで言うと、現場で頑張っている人たちに失礼が過ぎるだろう。しかし「実がない言葉でも繰り返しているうちに…」という下心の類型が見えてしまうのもまた事実なのである。

たとえば分析の工程で、酸やアルカリでサンプルを処理した上で計測を行うとインがビュイ-(インタビューを受ける人)が解説しているが、これはストロンチウムの分析に関するコメントだ。セシウムや全ベータの測定で手の込んだ前処理をされた日には、測定値が実際より低く出る(これを改竄といえるかどうかの基礎情報すら提供されていないが)ことにもなりかねない。

どうしてそんなにキツい指摘ができるかというと、タービン建屋から海側のエリア、4m盤と呼ばれる場所では、サンプルが濁っていたためろ過した上での検出結果を「参考値」として発表ということまで行われているのだ。

どういうことか?

セシウムやストロンチウムは濁りの元となる土砂の粒子に吸着しやすい。それらの粒子をろ過した上で検査して、参考値として発表しているのである。通常のサンプルの処理とは別のやり方で測定した上、参考値として統計除外していったいどんな意味があるというのだろうか。そんな疑惑が行われているのが、サンプル採取や分析の現場なのだ。

ここで行われていることは、実際の汚染度のエビデンスではなく、国民を安心させる材料を加工して提供している行為である可能性があるし、このビデオはその疑念を何ら否定するものではない。

インタビュイーが実に誠実そうな人に見受けられるのが苦しい。

クリティカルな目で見なければ流される

現在の事故原発処理と社会の間のリレーションシップの最大課題は、ひとえに東京電力と一般国民の信頼関係を再建することだ。

もっとも象徴的なのはK排水路とサブドレンの問題だろう。隠蔽とはいわないまでも、高濃度に汚染された雨水が垂れ流し状態だったことを約10カ月間公開しなかったことで、東電の信用はガタ落ちになった。何をやっても信じられない。どんなにいいデータが出てきても、本当だろうかという疑念が生じてしまう。東電と一般国民の間にあるリレーション断絶は、この事件によって極まった。

しかし、その肝心のK排水路やサブドレン、あるいはもっとも海近くの地下水ドレンから採取された「水」の分析についてはビデオはなんら言及しない。

処理されることなく海に溢れ出たり、現在進められている工事が完了しても結果的には垂れ流されることになるK排水路の検出結果が、どうして降雨の有無で大きく変動するのか。その解析や科学的説明なしに、「(採取・分析には)それぞれの想い 苦労が入っています」ではすまされないだろう。

この言葉が繰り返されるほど、「知らされない」現実との乖離が、膿まで伴った深い傷口としてパックリと開いてくるようだ。

東京電力は、PRビデオで「ちゃんとやってます」とのアピールを繰り返すことに何か意味があるのだろうか。海水のサンプル採取の映像はたしかに美しい。しかし、最も心配されているK排水路や地下水バイパス、サブドレンから汲み上げた水、そして今も時折発生する機器やタンク等からの漏洩汚染水をどう扱っているかに全く触れられていないのは、パッシブな隠蔽といわれても仕方がないことなのではいか。

水害被災地での停電対応に取り組む東京電力の社員のビデオを、先日紹介させてもらった。それもよくできた良い映像だった。

しかし問題は映像の美しさや仕上がりではなく、国民的関心事や廃炉工程のネックとなっている事象について、エビデンスとしての映像なり画像なりを真摯な姿勢で公開していくことなのではないか。

美しい映像や耳障りのいい言葉をまとめたビデオを制作・公開する労力やお金は、もっと別のところに使われてしかるべきだ。杞憂とは思うものの、ふと思い当たったのは、新約聖書のキリストの行状を紹介する場面に登場する「白くきれいに塗られた墓」(※注)のたとえだ。そんなことではないのだと、東京電力にも知り合いが少なからずいる身としては信じたい。

(※注)Jesus Christ がパリサイ人を批判した言葉「わざわいななるかあなた方、偽善の律法学者パリサイ人。あなた方は白く塗られた墓に似ている。外見は美しいが内はあらゆるけがれに満ちている。」(意訳)