国道1号線の三島消防署脇の花壇に「平和都市宣言」の看板が建てられている。
ちょうど桜が咲いた頃、安保法制の国会審議が始まる前の頃、平和都市宣言をしている自治体の責任として、戦争法案に対する動きがあるのではないかと期待したが、この町の議会がアクションを起こしたという話はついぞ聞いたことがない。
平和都市宣言って言っても、核非武装が主眼だから安保法制とは関わりが薄いんだよと諭してくれる人もいたので、そんなものかと思っていた。
ところが先月、図書館の建物で開催された「平和のための戦争展」を見に行ったら、三島市の「平和都市(核非武装)宣言」が手書きの文字で貼りだされていて、その時初めて宣言の内容を読んでみた。
平和都市(核非武装)宣言決議(昭和34年12月21日決議)
平和と民主主義は太平洋戦争の敗戦による冷厳な犠牲の中から得ることのできた歴史的なものであります。
日本の永遠の平和と世界平和への寄与のために、一切の戦力を放棄し、永久に戦争に加わらないという日本国憲法をわれわれは持つことができたのです。
しかるに世界の情勢はややもすると軍事施設の強大に狂奔し、軍事的対立を深め、原水爆の出現とロケット兵器の発達は1秒間戦争の時代とまでいわれる、全く恐るべき全人類の破局を想わせるものがあります。
われわれは日本国憲法の明示する精神を体し誇りと自信を持って核武装主軸とする戦争への一切の道を拒否し、6万三島市民と共に、平和への道を確実に進むために、われわれの美しい郷土、三島市は核非武装平和都市であることを内外に宣言決議する。
昭和34年12月21日
三島市議会
なんと!
読んでビックリ。たしかに「核非武装」という言葉は出てくるものの、この宣言は反核以前に憲法に基づく平和主義をうたい上げたもの。
さらに調べてみると、昭和34年に平和都市宣言をした三島市は、全国の自治体で2~3番目に早い宣言自治体だという。いまや日本の約8割の自治体が採択している非核平和都市宣言だが、三島市はその中でも極初期に議決した栄えある自治体だったのだ。
議決した当時は第五福竜丸の被曝の問題や、全面核戦争の危機感が世界に広がっていた状況から、平和都市採択に向けての運動はそうとう盛り上がったらしい。しかし、しばらくすると潮が引いていくように熱が冷めてしまったと当時を知る人は話す。そもそも人通りの少ない国道1号線沿いに看板があるということ自体疑問だ。図書館(三島市民生涯学習センター)の建物が改築された際には、平和都市宣言の看板を図書館に移築してほしいという市民の声があったが、行政はあえて人目につきにくい国道沿いに残したのだという。
もしかして、議会や行政としては、あまり触れられたくないことなのかなあ。
しかし、平和都市宣言を行ったことは事実だし、これを取り下げることなどできはしない。だから、三島市民のみなさんは、三島市が平和都市宣言をしていることを誇りに思っていただき、その内容を一度でいいから読んでみてほしい。
もう一度、引用します。
平和都市(核非武装)宣言決議(昭和34年12月21日決議)
平和と民主主義は太平洋戦争の敗戦による冷厳な犠牲の中から得ることのできた歴史的なものであります。
日本の永遠の平和と世界平和への寄与のために、一切の戦力を放棄し、永久に戦争に加わらないという日本国憲法をわれわれは持つことができたのです。
しかるに世界の情勢はややもすると軍事施設の強大に狂奔し、軍事的対立を深め、原水爆の出現とロケット兵器の発達は1秒間戦争の時代とまでいわれる、全く恐るべき全人類の破局を想わせるものがあります。
われわれは日本国憲法の明示する精神を体し誇りと自信を持って核武装主軸とする戦争への一切の道を拒否し、6万三島市民と共に、平和への道を確実に進むために、われわれの美しい郷土、三島市は核非武装平和都市であることを内外に宣言決議する。
昭和34年12月21日
三島市議会
全国の8割の自治体が非核都市宣言や平和都市宣言をしているということなので、お住まいの町がどんな宣言を採択しているのか、あるいはしていないのか、一度調べてみてはいかがでしょう。