2014夏休みレポート Vol.4 ~飛騨高山の手筒花火~

前回の話

飛騨高山の手筒花火

岐阜県高山市の「古い町並み」を一通り見て回ると、あたりは薄暗くなっていた。そろそろ帰ろうかと思いながら、近くを流れる宮川の方へ何気なく行ってみると、弥生橋のたもとに警備員が立って交通整理をしていた。

「工事かな?」と思っていると、近くにあった立て看板に「手筒花火大会開催のため、道路通行止め」と書かれていた。開催日は今日であった。

宮川を見ると、川床には5m四方ほどの手筒花火の打ち上げ台が4つ、工事現場の足場に使われる鉄パイプで組まれていた。

手筒花火は見たことがなく、興味をひかれた。看板には通行止めの時間帯は書かれているものの、花火開始時間は書かれていない。万が一に備えて詰めていた消防士の方たちが近くにいたので「今日、手筒花火大会は開催されるのですか?」と聞くと、ひとりの消防士の方が「やりますよ」と言った。打ち上げ開始の時間を聞いてみると、19時半からとのことだった。

開始まで40分程であった。時折雨が降る天気だったものの、そうめったに見れるものではないので見ようと思い、打ち上げ台がよく見える川沿いの道路の路肩で始まるのを待つことにした。

手筒花火について

日本で初めての花火については諸説あるものの、1613年、徳川家康が駿府城で見た手筒花火が最初であるというのが通説になっている。

手筒花火は、数十cm~1mほどの長さの筒から、激しい炎と火の粉を火柱のように噴き上げる花火であり、夏の花火大会でよく見かける「打上げ花火」とは異なる。
火柱は手筒の大きさによるものの、大きいものでは高さ10数メートル、数十秒間続く。孟宗竹の節をくり抜いて作った筒に鉄粉などを混ぜた黒色火薬を詰め、筒の周囲に荒縄を巻いて作られる。

高山の手筒花火は打ち上げる人、見る人の厄を払うために、毎年8月9日に打ち上げられている。地域によって異なるが、高山の手筒は最後に「ハネ粉」と呼ばれる火薬に火がついて「ドーン!」と激しい音ともに爆発する。

花火は花火師が筒を持った状態で打ち上げられるのだが、立ち位置や姿勢は、火をつけた後、音と火花の状態、風向きなどにより調整するという。最後の「ハネ」の瞬間に手筒が爆発の勢いで上へ持ち上がろうとするのだが、この反動をどうあつかうかに花火師の個性がでると言う。爆発の瞬間、強引に腰高まで押さえこむ人もいれば、くるっと体を回転させながら手筒を振り回して反動を逃す人もいる。またそのままの体勢で耐える人もいた。

高山の手筒花火が始まる

あたりが完全に暗くなったころ、飛騨高山手筒組が提灯を手に持ち、きやり唄と呼ばれる民謡を歌いながら現れた。飛騨高山手筒組とは、手筒花火を打ち上げる地元の有志の方による花火師たちである。総勢約40名。

手筒組が宮川に架かる橋を渡って川岸へ下り、打ち上げの準備が整うと手筒花火が始まった。

手筒花火は花火師と手筒に火をつける点火役の二人一組で打ち上げられる。手筒は最初、地面に横倒しの状態にある。点火役が手筒花火に火をつけ、炎が噴き出し始めると、花火師と点火役は「よぉーっ」とかけ声と共に、広げた両手を地面から天に向かってゆっくりと水をすくうように上げて気合を入れる。それが終わると花火師が手筒をゆっくり起こし始める。炎はどんどんと勢いを増してゆく。それにつれて周囲のものがはっきりとわかるほど明るさも増していく。

地面に対して垂直になるまで手筒を起こすと、こんどは身体の脇で抱え、どっしりと腰を据えた体勢をとり、その後は微動だにしない。

火柱は想像以上の高さで迫力に度肝を抜かれる。火の粉が雨のように花火師の全身に降り注ぐ。炎が花火師の顔のすぐ近くで噴き上げている。火傷をするのではないかと思われるほどの距離と激しさにも関わらず、花火師は不動の姿勢をとり続けていた。暗闇の中、空高く噴き上げる花火と、火の粉を被りながらも身じろぎもしない花火師の姿に美しさと高い誇りが感じられ、思わず鳥肌が立った。

花火は数十秒間火柱を噴き上げたのち、最後に激しい爆発音とともに火の粉をパアっと吹き上げて終わった。ぱらぱらと落ちてくる火の粉の中の花火師のシルエットが美しかった。

手筒花火が打ち上げられていたのは約1時間半ほど。あっという間の時間であった。
花火終了後もしばらくは余韻が抜けず、「古い町並み」を歩いていても、手筒花火の光景が幾度となく思い出された。

高山の手筒花火大会会場

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参考WEBサイト

Text & Photo:sKenji