ほぼ100年ぶり。
関東甲信越の豪雪による雪害。
雪に埋もれた山梨県で防災ボランティアセンターが立ち上がったその日の夜、宮城県石巻市の牡鹿半島で動きがあった。この写真を見た瞬間、胸の鼓動がMAXに達した。
夜の闇の中、ヘッドライトに浮かび上がる角スコ、角スコ、これでもかという数の角スコップ……。
Pikari支援プロジェクト・牡鹿ボランティアさんがFacebookで呼びかけた。
石巻市牡鹿半島
山梨県豪雪災害で災害ボランティアセンターが立ち上がりました。2.18午前に連絡が有り資材の搬入依頼が有り道路状況を確認只今、積込を行いドライバーの手配が出来次第、第一便出発いたします。豪雪災害も広範囲かつ県をまたいでおりますが、各所できる限りのサポートをし石巻牡鹿より震災のお返しが少しでも出来ればと考えています。
「少しでもお返しができれば」
その後も続々と、この件の続報がつづく。
甲府と牡鹿半島。直線400キロ。走行距離で570キロ。距離など、関係ない。
そして3月5日。
そして3月5日、一枚の葉書の写真がアップされた。
ボランティアのみなさん
この度の大雪被害にあたり、スコップ等の支援機材の助けをしていただき涙がでる思いです。スコップしか手だてのない山梨県民も、使いすぎて壊れてしまっているご家庭も多く、どれだけありがたいかしれません。
本当に本当に心から感謝致します。
石巻の街も一日も早く元の街に復活しますように。
みなさん、ありがとう。
引用元:山梨県のみなさんから、石巻・牡鹿半島の人びとへの葉書
震災から四年目がもうすぐやってくる。
風化という言葉が、生身に迫るものとして、すぐそこにある。
しかし、
こうして、本物の握手が日本中に広がっていく。
このつながりが風化することはない。
東北の出来事は東北だけのことではない。そのことを分かり合える熱い握手と「ありがとう」がいま、どんどん日本中に広がっている。
前へ!
もっと、もっと!
文●井上良太
※写真はPikari支援プロジェクト・牡鹿ボランティアさんのご好意で転載させていただきました。次は牡鹿で恩返しです。