明後日 仕事で仙台に行く。
石巻から仙台‥たかが仙台 されど仙台‥。
やっぱり3月に近づいてるきているせいなのか、なんか色々 思い出す。
あの年の5月 わたしはあんなことがあって以来、初めて仙台へ向かった。
石巻駅から仙台行きの高速バスに乗り、なんと蛇田のイオンまで1時間以上かかった。
あの当時の道路事情はもちろん、やはりパトカーや緊急車両そしてなにより自衛隊の車が多く走っていたあの頃、常に道路は混みいつも渋滞していた。
そしてまるで東京に行くくらいの時間を要してやっと仙台に着いたとき、わたしは愕然とした。
わたしの格好は‥かろうじてジーパン とパーカーそしてかろうじて本社の人に「靴がない!」とお願いして持ってきてもらったリーガルのスニーカーを履き、背中にはリュック(パンとかおにぎりとかいわゆる支援物資 配給を入れる用に買ったもの)を背負いそんな格好で仙台駅に到着した。
まぁ まだその頃、石巻の人たちはみんな長靴だったりカッパ着だったりしていたから、自分的にはまぁ小綺麗な格好で行ったつもりだったんだけど‥
仙台はまるで違っていた 駅前も商店街も綺麗になっていて、ファーストフード店は再開し綺麗な格好をした人たち 香水の匂いをプンプンさせ高いヒールを履いた女の子たちがいたるところにいた。
それでも街には「頑張ろう仙台!」という貼り紙がいろんなところに貼られていて、そこに立っている自分がまるでどっか別な星からでもきたようなそんな錯覚さえするような気持ちになった。
今となれば、仙台は仙台で大きく見渡せばかなり酷い被害を受けたところももちろんたくさんある訳で、でもその当時のわたしはその「綺麗な仙台」を見てかなりショックを受けた訳で、もう暫くは石巻から出たくないなぁ〜って気持ちになったのを今でも覚えている(今となれば考えられないけど)
あの当時、なんだか知らないけれどほんの些細なことにいつも傷付いていたように思う。強くいなければ!と常に思っていたからなのか見るもの聞くこととにかくいろんなこと傷付いていた。そしていつも泣いていた 人が見ていないところで‥
石巻から仙台‥たかが仙台‥されど仙台‥。
そんなことを思い出し明後日、仕事で仙台へ行って来ます。
2014年2月5日 / 文●新柵ひろ子