平野仁右衛門家が代々暮らす島に・・・
千葉県、房総半島太海の浜から200mほどの距離にある仁右衛門島。平野仁右衛門家の一世帯のみが代々暮らしている。人の名前がそのまま島の名前にもなった珍しい島である。代々島主が”平野仁右衛門”を名乗るという、独特な伝統を持つ。
仁右衛門島と源頼朝の伝説
そんな平野仁右衛門さんは2012年現在で38代目だという。”平野仁右衛門”の歴史は深く、それにまつわる伝説がある。 1180年(治承4年)、石橋山にて平氏との戦いに敗れた源頼朝が、一時安房の国へ逃げ込み、そこで体勢を立て直したのち、武蔵国へ攻め入った。その安房の国へ逃げ込み、再起を図った頼朝。しかし、そこでも順調とはいかず、平家方の長狭六郎常伴(ながさろくろうつねとも)が夜襲をしかけるという噂が、頼朝に伝わったのだ。そんな時、都合が悪くなった頼朝をかくまった人物がいる。その人物こそが平野仁右衛門である。
結果、そのおかげで再起を図ることができた頼朝。仁右衛門はその功績が称えられ、島周辺の漁業権が与えられたそうだ。この漁業権は幕末を経て明治の時代まで続いたと言われ、さらに現在に至るまで、島主と家族が島を守り続けているのだ。
あくまで”伝説”
・・・という、伝説である。史実と矛盾する点がいくつかあり、かつ、仁右衛門家に代々残っていた古文書のいくつかは元禄の大津波で流失してしまったため、本当のところはやや不透明なようだ。しかし、島には「頼朝のかくれ穴」という名所もあり、伝説とリンクしている。
「”あわ”はいらない?」
なお、頼朝から漁業権を与えられた仁右衛門だが、一方でこんな笑い話も。「頼朝をかくまった功績が称えられた仁右衛門なんだけどね、頼朝から『”安房”か”周辺の漁業権”のどちらかを与える』って言わたんですって。仁右衛門は即答で”漁業権”を選んだの。理由は『”あわ”を沢山もらっても仕方がない』からって。”安房”と”粟”と勘違いしたんでしょうね。」
今回、一連のお話を聞かせてくれたのは、第38代平野仁右衛門さんの妻・昌子さん。昌子さんは話の最後にオチを付けると、フフッと笑った。
◇仁右衛門島の詳細はこちら◇「【千葉】仁右衛門島 ~代々受け継ぐ”仁右衛門”さん、伝説と伝統の継承地(景勝地)~」
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