日本で誰もが知っている犬と言えば、南極物語のタロ・ジロや名犬ラッシーなどがいますが、忠犬ハチ公は時代を越えて多くの人たちが知っている犬ではないでしょうか。秋田犬のハチが、主人が亡くなったことを知らずに、いつも主人が利用していた渋谷駅に毎日通っては帰りを待っていた話は有名です。
ハチの主人は、大学教授の上野栄三郎で大変な愛犬家でした。ハチは生後間もなく上野宅に引き取られ可愛がられたと言います。ところが1年後、主人の上野は急死。ハチは帰らぬ主人を待ち、その後、3日間は何も食べなかったそうです。主人が亡くなり、ハチは上野の妻と親戚宅に移り住むことになります。しかし、移り住んだ呉服屋では、客に飛びつくなどの行動をとるようになったため、他の親戚に預けられ、また問題が起こり、上野邸の植木職人の家に引き取られることになったようです。
引き取り先は変わったものの、ハチは大事に育てられていました。それでも、主人・上野を慕う気持ちは変わらず、その頃から、渋谷駅へ通うようになったそうです。そのとき、必ず旧上野邸を覗いてから渋谷駅に向かったと言われています。今でこそ、ハチの名前を知らない人はいませんが、当時、渋谷駅でハチはかなり邪険にされたそうです。駅員にひっぱたかれたり、顔に墨でいたずらされたり、露店の親父に追われたりと散々でした。日本犬保存会初代会長・斎藤弘吉は、その様子を哀れんで、ハチの話を新聞に寄稿。これが発端となり、東京朝日新聞に「いとしや老犬物語」として掲載され、人々の同情を呼びました。
一躍人気者になったハチは、人々にかわいがられるようになり、駅員はハチが駅で寝泊まりすることも許すようになったほどでした。ハチは全国的に有名になり、昭和9年には、神宮外苑の日本青年館でハチ公の銅像建設基金募集の名流演芸大会が開かれました。青年館の1階から3階まで、ハチ公ファンでいっぱいになったと言います。主人が亡くなってから10年、ハチ公はその一生を終えました。享年13歳、普段は行かない渋谷駅の反対側の路地でひっそりと死んでいたそうです。
ハチ公が有名になったとき、文部省の国定教科書の修身(今の道徳)に「恩を忘れるな」と題してハチ公の話が美談として採用されたそうです。たしかに美談かもしれませんが、ハチの思いは自分を可愛がってくれた主人へのまじりけの無い愛情だけだったと思います。