世界七不思議の一つ、バビロンの空中庭園をご存知でしょうか。
紀元前600年頃、新バビロニア王国の首都バビロンに、ネブカドネザル2世によって造られた階段状の庭園が造られました。高さ15メートル四方の基盤の上に、幾層ものテラスが重ねられ、最上部までの高さは110メートルにも達します。 主な建造材料は切り石とレンガです。各テラスには防水のために天然アスファルトを使用するなど、入念な工夫が施されていました。こうした基礎工事の末に、各テラスには大量の土が盛られ、さまざまな花や樹木が植えられていました。これらの生育に必要な水は、庭園の前を流れるユーフラテス川から汲み上げていたようです。庭園の正面には、訪れる人々のために階段が設けられており、内部には丸天井の部屋がいくつも造られていました。この庭園を遠くから見ると、あまりの巨大さのために空中に浮いているかのように感じられたことから、バビロンの空中庭園と呼ばれるようになったのです。
この庭園はネブカドネザル2世が、王妃アミュティスの為に建造したものだといわれています。王妃は北方の山岳地帯、メディアの出身でした。山国の豊かな緑に囲まれて育った彼女にとって、雨がほとんど降らないバビロンでの生活は味気なく、しきりに故郷の山野を恋しがったといいます。そこで王は王妃を慰めるために、メディアの山と森の再現を思いたちました。それにしても各テラスまで水を上げ、植物に水やりをするのに当時の人々はどんな方法をとっていたのでしょうか。いい伝えによると、庭園の最上部には貯水タンクが設けられ、パイプを通して各テラスに給水し、噴水や自動散水器で植物に水やりをしていたそうです。しかし、この揚水メカニズムに関して、詳しいことは何ひとつわかっていません。現代でこそ、地上110メートルの高所への揚水は造作もないことですが、2,600年もの昔にこれほどの水利技術があったとすれば驚異です。なお、この空中庭園は紀元前538年のアケメネス朝ペルシア侵攻の際に破壊されたといわれ、伝説のみが残る存在でした。ところが20世紀初頭、ドイツの考古学者ロベルト・コルデヴァイによる発掘調査の際、その存在が2,500年ぶりに確認されたのです。コルデヴァイはネブカドネザル2世の宮殿近くで発見した建物の残存物を、空中庭園の跡だと推測しました。