大川小学校と門脇小学校、震災遺構として保存へ【石巻】 iRyota25 2016.03.25 11 6,142 0 3月25日、「門脇小 大川小 被災2校舎とも保存へ 亀山市長 あすにも表明」と石巻日日新聞が伝えた。記事の冒頭を引用すると―― 石巻市の亀山紘市長は、東日本大震災で被災した門脇小学校と大川小学校の校舎を保存する方針を固めた。26日午後にも記者会見を開いて表明する。亀山
人それぞれの「復興支援」 pamapama 2013.03.11 7 3,516 1 東北地方を巨大な地震と津波が襲ったあの日から、今日でまる2年が経ちました。 大学の同級生が石巻市に単身赴任しています。震災の翌日から何度か電話をしてみましたが、全然つながりませんでした。そうなるとなんだか電話をするのが怖くなってしまい、一方的に「大丈夫だよな
陽光が差し込む教室 hometown_of 2017.03.17 6 1,402 0 午後の大川小学校、彼岸の入りの日、教室の壁を春の日差しが照らしている。 この時間帯ならまだ小学生たちは教室や校庭にいるかもしれない。走り回ったり、笑い合ったり、けんかしたり、また走り回ったり、笑い合ったり、歌ったり。 そんな声が聞こえてくるような気がする。壁
くまモンの小麦粉で焼いたパン。東北ならではのやさしさに涙 iRyota25 2016.05.13 6 3,216 0 ゴールデンウィークに石巻からとてもうれしい知らせが届きました。涙が出てしまうくらいうれしい知らせでした。 石巻のパン屋さんからFacebookで最初に届いたメッセージは、 待ってた南の粉が来ました! というもの。くまモンのイラストがあしらわれた小麦粉の袋の写真もそえ
小さな浜に3月11日にオープンしたカフェでのキャンドルナイト iRyota25 2013.03.11 6 2,682 1 牡鹿半島のつけ根、石巻市蛤浜。9軒の人々が肩を寄せ合って暮らしてきた、牡鹿半島の浜(漁業を中心にしたコミュニティ)の中でも一番ちいさな浜。浜の神社には江戸時代の年号が刻まれた碑石が、まるで当たり前のように置かれていた、暮らしが連綿と受け継がれてきた浜。その
こどぱにー、お祭りで大・盛・況! iRyota25 2013.08.08 6 2,456 0 8月1日。 おまつり会場になった街なかでも、いちばん混雑する寿町通り。ピースボートセンター隣の空き地に、こんな看板が出現! 縁日のように出店が並ぶ通りで、秘密基地づくり?! もちろん空き地はこどもたちでいっぱい。熱気むんむん、大盛況! 外から、中から、トンカント
東日本大震災・復興支援リポート「雪の石巻に咲いた真夏のひまわり」 iRyota25 2013.01.30 6 4,689 5 め組JAPAN「南浜ひまわりプロジェクト」写真展(2013年1月25日~1月27日) 添えられたコメントがぐっとくるのです。写真は会場で展示パネルを撮影させていただいたものです 「久しぶり!元気だった?」 「本当にお世話になったわね。いまどうしているの?」「あの時はありがと
ツールド東北2013レポート kimkaz 2013.11.07 6 5,764 0 ツールド東北とは? 「ツール・ド・東北 2013 in 宮城・三陸」とは、東日本大震災の復興支援および、 震災の記憶を未来に残していくことを目的に、宮城・三陸エリア(石巻市、女川町 、南三陸町)を舞台にしたサイクリングイベントです。 コース グランフォンド:約160キロ メ
どうして山に逃げなかった?【復興支援ツアー】 hometown_of 2017.03.30 6 1,723 0 大川小学校の裏山に登ってみた。途中に白い表示があったのが津波到達点なのかと思ったが、それより少し高いところまで津波は襲っていたきたのかもしれない。縦長の小さな窪地のような獣道に沿って、ゴミが点在していた。それが津波の時のものなのか、その後誰かが捨てたものな
【復興支援ツアー2019レポート】石巻・仙台の『お気に入りの場所』を見つける旅 byバイキンマン baikinman 2019.10.06 6 28,699 0 東日本大震災から8年。 今回の旅では、2015年に石巻を訪れた際にできなかった「石巻津波伝承AR」アプリを使って街歩きを行います! 震災時の様子と今を見比べながら、石巻がどのように変化したかお伝えします。 そして、訪れた場所のスケッチをしながら、石巻・仙台の『お気に
【伝える】石巻市復興まちづくり情報交流館「雄勝館」 iRyota25 2016.07.08 6 2,107 0 6月に雄勝に行った時にはあいにく休館日だった「石巻市復興まちづくり情報交流館 雄勝館」に行ってみた。場所は旧雄勝小学校から300mほど。5月末に移転した仮設商店街「おがつ店こ屋街」のすぐ近くだ。 情報交流館は管理棟、展示棟、交流棟、そして交流テラスの4つのパートか
縁というもの【復興支援ツアー】 hometown_of 2017.03.30 5 1,335 0 その日、大川小学校ではカメラがずっと回されていた。この山道を逃げればよかったのにと、悲しさ悔しさ申し訳なさでいっぱいになった坂道の上からも、カメラの前で話し続ける人たちの姿があった。 大川小学校。冷たい風にさらされるこの場所に「いる」ということだけが、かろ
大切なことは、「一生懸命がんばる」こと akaheru 2017.09.29 5 2,485 0 2017年9月23日に石巻市で開催された「復興の森づくり植樹祭」に参加してまいりました。 当日は500名以上の方と協力をして苗木を植樹です。我々のグループは静岡県、神奈川県から参加させていただきましたが、隣で作業をされていた方たちも東京、埼玉から来られたようで、県
【復興支援ツアー2016年度】目指せ「津波伝承 女川復興男」優勝!石巻・女川の旅 akaheru 2017.03.14 5 1,827 0 毎年会社で取り組んでいる復興支援ツアー。 昨年は各自が企画した旅程で被災地を訪れるというツアーを行いましたが、今年は参加者みんなで同じ旅程を回るツアーを実施します。 参加者が別々の地域を訪れることにより、被災地の今についてそれぞれが異なる印象を持つことが考え
「出会えばきょうだい」沖縄のエイサーが石巻で炸裂 iRyota25 2013.08.07 5 3,407 0 2013年8月1日、 石巻最大のお祭り「川開き」に、沖縄の伝統芸能エイサーが登場した。 「なぜ?」って思う前に写真をずらっと見てください。 (クリックして拡大表示したら、「>」で順番に眺められます) 記事は、写真の下に続きます。 「エイサー石巻」宮城県石巻市に沖縄エ
東日本大震災・復興支援リポート 「心の瓦礫はまだまだ残ったままなんだ」 iRyota25 2012.11.05 5 2,867 0 復活は見えない。それでも雄勝で“海の仕事”に戻る 大津波の後の町の様子を見たことがある人なら、雄勝という地名を聞いただけで胸が締め付けられるような気持ちになるかもしれない。それほど被害は大きかった。海沿いの住宅も公共施設もほとんどが壊滅した。津波被害の後の雄
想像以上の大きさ!石巻の津波避難タワー iRyota25 2015.12.31 5 3,209 0 想像以上に大きい。石巻市が整備を進めている津波避難タワー。その第1号として市東部の渡波地区に2015年3月に完成した「大宮町津波避難タワー」は高さ約13メートルの鉄骨造。冬期の気温に考慮して、高さ10メートルの位置に約120平方メートルの居室も設けられている。 津波避難
こどもたちと未来を。石巻・女川⇒伊豆ツアー iRyota25 2013.04.05 5 1,908 1 「冷てー!」 「でも、おもしろーい!」 桜は満開だけど、曇り空でちょっと肌寒かった3月30日の静岡県・伊豆。狩野川の水の中にこどもたちの声が響いた。 カヤックに乗って川の中州へ上陸したり、ライフジャケットを着て急流の中を流されたり、水を掛け合ったりして楽しんだの
海辺の地をゆく「石巻市・巻石」再訪 2013年4月15日:時代を越えて伝えられていくもの iRyota25 2013.05.15 5 2,953 0 2013年4月15日(767日目)の宮城県石巻市・巻石、住吉公園 以前にも写真で紹介した石巻の巻石を撮影していたら、ご近所のおじさんが自転車でやってきて、立ち話でいろいろ教えてくれました。 海辺の地をゆく「石巻市・巻石」2012年11月17日 石巻の町の名前の由来ともされる巻
東日本大震災・復興支援リポート「被災地で聞いたゆうれいの話」 iRyota25 2013.01.27 4 3,585 10 復興屋台村気仙沼横丁の大漁丸さんでのこと。 「ところで今日はどこに泊まるの?」 と尋ねられてホテルの名前を答えたところ、 「あら、よかったわね。××ホテルは出るのよね」 出るって何がと尋ねると、 「ゆ・う・れ・い。有名なのよ。見たって人はみんな同じ場所、同じ時間
東北、この一枚。(8)川開きの朝の「がんばろう! 石巻」 iRyota25 2013.08.02 4 1,822 0 石巻市門脇の「がんばろう! 石巻」の看板に、川開きを迎えて七夕飾りのディスプレイが加わった。工事用鉄パイプで手作りされたスタンドに飾られた5つの七夕飾りが、ひまわりの花といっしょに「がんばろう! 石巻」看板のまわりで風に揺れていた。 この七夕飾りは、石巻の仮設
こどもたちと未来を。「こども∞感ぱにー」田中雅子さん(ケロちゃん) iRyota25 2013.04.12 4 2,709 0 この場所に来て、ケロちゃんが石巻に残る決心をした理由がよくわかりました。 黄金浜ちびっこあそび場。 ここはこどもたちが自由にのびのびと遊ぶ場所。 保護者や地域の人たちやケロちゃんこと田中雅子さんたちスタッフが一緒になって楽しんでいる場所。 広場の入り口近くでは
あたらしい石巻・体感リポート「日和アートセンター」 iRyota25 2012.12.25 4 2,882 0 ▲「復興支援トップ」に戻る Interview : 日和アートセンター・立石沙織さん 「きっかけは復興支援活動ということではあったけれど、石巻を被災地としてだけでみるのではなく、できるだけ『本来の石巻』を探しだして見つめたいと思っています」 キュレーター兼コーディネータ
復興を目指すお店リポート 「津波被災地に生まれた“ 海 ”という名のカフェ」 iRyota25 2012.12.12 4 4,703 0 [プロローグ]住民の約5分の1にあたる97人もの犠牲者が出たという石巻市渡波(わたのは)地区。 かつては民家や水産加工場が軒を連ねていた場所は、いまでは一面の更地。ぽつりぽつりと残っているのは「全撤去」とか暗号のような数字(たぶん解体の手順や、境界線を保護するた
漁業復活への道 石巻市大須 「家は流されたが船は残った」 iRyota25 2013.01.16 4 3,420 2 [プロローグ] 昼下がりの漁港。地震で地盤沈下した岸壁に集うのはウミネコばかり。そこに軽トラックが1台やってくる。車から降りてきたのは、ウェーダー(胴付長靴)を着た漁師の小松利久さん。震災後の海のこと、漁のこと、これからのことなど話してくれた。最初はぽつりぽつ