福島第一原発の大型休憩所にローソンが開店 fnp1monitor 2016.03.07 3 3,677 0 事故原発の構内にコンビニエンスストアが開店した。昨年開設された大型休憩室の一角がローソンとして3月1日にオープンした様子が東京電力の動画サイトで紹介されている。 東京電力 写真・動画集| 福島第一原子力発電所における構内大型休憩所へのローソン出店について まさし
陸前高田のマイヤ竹駒店が閉店 hometown_of 2017.04.21 1 3,677 0 陸前高田の地元スーパー、マイヤ竹駒店が閉店した。 かさ上げされた土地につくられる新しい中心商店街アバッセのキーテナントとして入居することになったからだ。店内には「閉店→アバッセたかた内へ4月27日オープン」と誇らしげに貼り出されていた。 最終日に閉店セールが行わ
【九州地区・沖縄地区】東日本大震災 義援金窓口 iRyota25 2013.04.11 0 3,647 0 福岡県 【大牟田市】東日本大震災義援金の受付について 【北九州市】義援金募集について 【小郡市】東日本大震災の義援金を受け付けます 【大宰府市】東日本大震災義援金 佐賀県 【佐賀県】東日本大震災に対する義援金のご案内 【唐津市】義援金・救援金の受け付けについて 【
あたらしい石巻・復興支援リポート「ちばふみ枝展 くすんだベール」 iRyota25 2012.12.11 4 3,566 0 ちばふみ枝さんは石巻出身の現代アート作家。MDFという人工の木材を素材に、可愛くて、でも奥が深い彫刻作品をつくっている。 彫刻と言っても、ちばさんがつくる作品はレリーフ(浮き彫り)だ。ふつうなら表面を見るだけだが、ちばさんの作品は裏側からも楽しめる。レリーフだ
【道の駅たろう】オープン9カ月のいま hometown_of 2017.04.21 4 3,560 0 田老の町の新しい中核施設として期待を集めて、昨年(2016年)7月31日にオープンした道の駅たろう。なかなか行く機会がなかったのだが、9カ月目にしてようやく訪ねてみると。 キット、サクラサク野球場に隣接して建設されたはずなのだが、道の駅らしき施設が見当たらない。前
放射能に負けないコメ作り 第6回 iRyota25 2012.12.15 3 3,514 0 東京電力福島第一原子力発電所から直線距離で30kmを少し越えるいわき市北東部。久之浜や大久、四倉といった歴史ある集落には、原発事故の直後からコメ作りの再生に取り組んできた人たちがいる。距離が近いにも関わらず、いわき市北東部の空間線量は比較的低い。しかし農地にホ
人それぞれの「復興支援」 pamapama 2013.03.11 7 3,510 1 東北地方を巨大な地震と津波が襲ったあの日から、今日でまる2年が経ちました。 大学の同級生が石巻市に単身赴任しています。震災の翌日から何度か電話をしてみましたが、全然つながりませんでした。そうなるとなんだか電話をするのが怖くなってしまい、一方的に「大丈夫だよな
【東北の風の道】(第5号)2016年を振り返る「あの道のいま」 iRyota25 2016.12.23 5 3,490 0 しばらく休止状態だった「東北の風の道」を再開します。これから年内にお届けするページのテーマは「2016年の振り返り」。その最初の1本は、福島県の沿岸部を南北に結ぶあの道、国道6号線沿線を巡る旅です。 変わったこと、あの日のままのこと 詩人の黒田三郎は「道」という詩
【熊本地震点景】東北の教訓は生かされているか[ハード面] iRyota25 2016.06.14 2 3,339 0 東北沿岸部の被災地で、いまもよく目にするのがH型鋼のベースに取り付けられた仮設のガードレール。ところが熊本地震の被災地益城町では、最初の地震から1週間程で、足の長いポールを使ったガードレールの新設が進められていた。 [熊本大地震]緊急度の高い復旧は比較的迅速
【復興支援ツアー2015】震災5年を見る。そして何があっても生き抜く力を身につける旅 byさぶろうた saburouta 2015.11.08 5 3,321 2 東北復興支援ツアーは今回で3回目のエントリーになります。 震災後、最初に東北を訪れたのは震災から2年たった2013年のことでした。テレビやネットで見ていたものとは違い、実状を目にして驚愕しました。 2回目は震災から3年が過ぎた2014年。4日間で宮城・岩手を見て回りまし
久しぶりのサン・アンドレス公園 iRyota25 2016.11.15 4 3,313 0 大船渡の魚市場近くにあるサン・アンドレス公園。異国情緒が感じられるネーミングは1611年にスペインの探検隊が大船渡を訪れたことにちなむという。タワーが印象的なこの公園は東日本大震災の津波をもろに受けたものの、タワーは生き残った。大船渡の町の変化を見渡すことがで
【ご注意ください】南三陸町防災庁舎へのルートが変わっています yumenoshippo01 2016.07.08 2 3,295 0 かさ上げ工事が進む津波被災地では頻繁に道路の付け替えが行われます。津波の悲劇を伝える場所として多くの人が訪れる南三陸町の防災対策庁舎周辺も例外ではありません。 つい数カ月前までは、津波被害と防災を伝えるため保存されることになっている高野会館前から、かさ上げ
3号機原子炉建屋オペレーティングフロアへに遮蔽体を設置するわけ fnp1monitor 2016.04.14 0 3,292 0 3号機オペフロA工区に架台 4月12日に東京電力が発表した報道資料の中に「3号機原子炉建屋オペレーションフロアへの遮蔽体の設置について」というのがある。 福島第一原子力発電所 3号機原子炉建屋オペレーションフロアへの遮蔽体の設置について|東京電力ホールディングス株式
【遺構と記憶】神戸の壁のベンチ iRyota25 2016.06.03 1 3,268 0 現代アートなのかと思ったら、それは震災遺構だった。 設置されているのは、神戸市中央区の海辺に震災後に新たに作られた街、HAT神戸にある「人と防災未来センター」の前。プレートにはこう記されている。 「神戸の壁」ベンチ 1927年に建てられた新長田・若松市場の防火壁が阪
復興への砦「みんなの家」から見た陸前高田 iRyota25 2015.01.20 3 3,264 0 かさ上げ工事が進められる陸前高田。中心地近くの小さな高台に「みんなの家」がたっている。津波の塩害を受けた地元の材木を使ってつくられた、まるで林のような、あるいはまるで砦のようなその姿が印象的だ。 みんなの家は、建築家の伊東豊雄さんを筆頭に、乾久美子さん、藤
市道大町線 iRyota25 2017.02.24 3 3,257 0 とっても不案内なタイトルだと思う。だけど、わたしにはこう記すことしかできない。陸前高田市道大町線。その路面に刻まれた何か、その路面にしたたった汗、その路面にもしかしたら突っ伏して流した涙、そんないろんな思い出を、思い出を持つ人たちのために記録させていただき
気仙沼でラーメンなら、漁火ごだいの「海鮮塩」 iRyota25 2016.09.12 6 3,253 0 ホタテ、カキ、エビ、イカ、ワカメ、メカブにノリにフノリ。気仙沼の海の幸がふんだんに盛り込まれた海鮮塩ラーメンは、潮風香る豊かな気仙沼の海そのものだ。 気仙沼から太平洋に突き出す唐桑半島はカキ養殖のメッカ。カキのみならず、ホタテやワカメの養殖も盛んな上、暖流
救援物資を送る時の「当たり前」 iRyota25 2016.04.07 6 3,248 0 日本ではいつどこでどんな大災害が発生するか分かりません。災害が発生した時、全国から送られてくる救援物資は被災地の人たちの支えとなる大切なもの。東日本大震災でも、阪神淡路大震災でも、被災地の方からは「ありがとう」の声が今でも聞かれます。 しかし、中には困った
2代目「がんばろう!石巻」看板(2016年7月) iRyota25 2016.07.08 4 3,212 0 「新しい看板が、被災者を励ますという当初の思いを踏襲しつつ、次の世代の子どもに震災を伝える存在になればいい」(河北新報2016年04月12日) これは震災の1カ月後の2011年4月11日、石巻市の高台から見下ろせる自宅跡地に「がんばろう!石巻」の看板を設置した、石巻市の黒
くまモンの小麦粉で焼いたパン。東北ならではのやさしさに涙 iRyota25 2016.05.13 6 3,212 0 ゴールデンウィークに石巻からとてもうれしい知らせが届きました。涙が出てしまうくらいうれしい知らせでした。 石巻のパン屋さんからFacebookで最初に届いたメッセージは、 待ってた南の粉が来ました! というもの。くまモンのイラストがあしらわれた小麦粉の袋の写真もそえ
大震災から5年[NHKの紹介ビデオ] iRyota25 2016.03.07 3 3,209 0 東日本大震災からもうすぐ丸5年となります。多くのメディアが被災地の変化したこと、変わらぬこと、時間経過とともに顕在化してきた新たな問題などを伝えています。NHKのニュースウェブは、空撮などで撮影した南三陸町の5年間、震災遺構の第一号として保存が決まった宮古市田
【遺構と記憶】東日本大震災で再び姿を現した吉浜の津波石 iRyota25 2016.06.13 1 3,208 0 その日、数時間前に堤防で 震災当時82歳だった柧木澤(はぬきざわ)正雄さんは、同年代の男性3人で、午後2時頃から3時頃まで海岸の防波堤を散歩するのが日課だった。2011年3月11日、その日に限って午前中に出かけると、2人のメンバーもその時間に来ていた。言い合わせた訳で
【熊本地震点景】避難所で食べ物がゴミになる理由 iRyota25 2016.06.15 6 3,197 0 熊本地震発生から2カ月が経過した。 地震発生直後の混乱が少しでも解消し、復旧への動きが確かになっていることを願う。 今さらな話だし、もうこんなことはないと信じて、熊本地震発生から約1週間後に起きたある出来事を紹介する。同様なことは震災から数カ月が経った時点でも
国道6号線で起きた事故 hometown_of 2017.04.21 1 3,179 0 富岡町から帰還困難区域に向かう途中の道で、サイレンを鳴らして急行する消防車に出会った。写真には撮れなかったが警察のパトカーも同じ方向に走っていった。 そこから少し北上して帰還困難区域の入口近く、国道に設置された線量計には「1時間当たり2.505マイクロシーベルト