美味しいイチゴの食し方

何度もおじゃましている仮設住宅の集会場で、お茶っこにイチゴが振る舞われた。野菜や果物が高騰している今日日、途方ももないプレゼントにみんなが目をまん丸くした。

しばらくの間、イチゴの名産地静岡県に暮らしていた経験があるわが身としては、美味しいイチゴをより美味しく食べてもらう食べ方についてレクチャーしなければとの使命感に駆られてしまうのも道理だろう。さもなければ、数年間の静岡生活のお世話に応えられまいとまで思い詰め、だらだらムードのお茶会の席上、きりっと起立して一席ぶつことにした。

えー、みなさん(お相手はいつも仲良くしてもらっているおばあちゃんたち。しゃっちょこばった切り出し方をすべき観衆ではない。すでにここでコケていた)、

イチゴというと真っ赤な色合いが美味しさの指標。本日ここにプレゼントされたイチゴの数々を見れば、どれも真っ赤に色づいていかにも美味しそうなのであります。

わーわーと歓声。しかし、こんな下らない演説を始めてしまったことを後悔するも、すでに始めてしまった以上、おさまるところまで続けない他ない。

イチゴと言えば赤。その真っ赤なところを味わいたくて、ついつい先端からパクついてしまうのが人の常というもの。

しかし、それが大間違い。美味しいイチゴのおいしさを損ねてしまっているのであります。不肖ワタクシ、静岡県ならびに福岡県のイチゴ農家に知り合いが十指に達せんほどいるのでありますが、彼らがそろいもそろって言うところの「おいしいイチゴの食べ方」を、本日ぜひみなさんにお伝えしたいと思うのであります。

わーわーとの歓声。(しかし、これまたワタクシの頭のなかにのみ響いた歓声)

「あら美味しそう」なんてつぶやきながらイチゴを手に摘むとき、誰もが緑のヘタの方を持ちますまいか? さすれば、イチゴを口に運ぶとき、真っ赤な先端からになってしまうのは自然の道理というべきもの。

されど、本当にほんとうにおいしいイチゴのこの一粒、その美味しさを100パーセント味わい尽くそうと思うのであれば、まずは緑のヘタを取り去って下さい。

力ずく引き千切ってもけっこうです。ちょっとくらい青い茎のようなものが残っても差し支えありません。

おいしいイチゴの食し方、その第一はまさにここにあるのです。

はい、ヘタを取りましたか。そしたら、いま取ったヘタの側、もしかしたらちょっと白っぽいかもしれないそっちの側からパクッと食して下さい。

パクパク。ちょっと白っぽい方からパク、そして真っ赤な先端まで一口にパク、真っ赤な方までパクパク。

イチゴは先端から熟していく。だから、真っ赤に熟れた先っちょから食べていくと、最後に残るヘタの周辺の酸っぱさが食後に残ってしまう。だったら逆に、ヘタの方から食べていけいい。実はヘタの近くの酸っぱいところにも、すがすがしいイチゴらしい味わいがある。そこからパクつき続けているうちに、真っ赤なイチゴ本来の甘い食味に出会える。その出会いの瞬間の感動こそがイチゴの美味しさなのだ。農家の人たちが目指しているのも、まさにその一瞬の味わい。一年間丹誠込めてつくったイチゴなんだから、熟れ熟れのイチゴ、というか物語性までまるっと包み込んだイチゴというものを味わってほしい——。それが知り合いのイチゴ農家のおっさん(30代のイケメンなのだが)が語りかつ伝えてほしいと言った奥義なのだ。

つまらぬ演説にも関わらず、拍手が湧き上る。とは言え、総勢6人くらいでしかないのだが。

「いや~、勉強になりました。この年になって初めて知ったよ。ありがとさん。それにしれもいままで知らなかったよな。イチゴってそんな風に食べっといいもんなんだなぁ。これからは、教わったように食べるようにしてみるよ」

そう言いながら、ばあちゃんたちは、「ヘタを手にして」、「真っ赤な果実の先端の方」からイチゴをぱくついては、いやあ、美味い美味いと言っている。

演説のことなんか忘れて、自分もひとつもらってパクつかせてもらう。もちろん緑のヘタを手に取って。うん、美味い。

美味しいイチゴの食し方、ここに尽くせり。

(このお話しはちょっとだけフィクションです)