鯰絵(なまずえ)から知る、災害時の江戸の人々

安政2年(1855年)、江戸に直下型の大地震が襲います。

この「安政の大地震」の被害は死者1万人以上、倒壊家屋数万であったと推定されています。

このような大災害の直後に、ユーモアのある世相を風刺した多色刷りの浮世絵「鯰絵(なまずえ)」が大量に刷られ、飛ぶように売れていきます。

鯰絵とは?

江戸時代、鯰は地震を引き起こすと考えられており、地震の魚として絵の中に登場します。

ここで驚くのが、鯰は悪者としてばかり描かれたわけではないことです。

地震によって金持ちを損させたり。

地震によって大工を儲けさせたり。

都市を破壊した地震を、金の流れをよくするものとみなしたり。

250点を越える鯰絵が様々な構図で描かれ、幕府によって取り締まりされるまでの2か月間の間に出回ります。

大鯰を懲らしめる民衆を描いた鯰絵

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「世直し鯰の情」。擬人化されたナマズが、被災者の救助を行っている

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地震後の復興景気で利益を上げた職人たちを描いた鯰絵

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鹿島大明神とナマズ。両者の関係を題材にした鯰絵は数多い

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災害をユーモラスにとらえた不謹慎な絵だけれど・・・

この鯰絵を作った絵師が、災害の起きた江戸に限定されているというのが、私を驚かせました。

被災者である浮世絵師たちが、どうしてこのようにユーモラスに描けるのでしょうか。

そして、鯰絵が飛ぶように売れた=被災者である庶民が求めたとはどういうことなのでしょうか。

当時、鯰絵に良い感情を持たない人ももちろんいたと思います。

しかし、震災による恐怖や絶望の中で、鯰絵は地震を笑い飛ばすことができる、癒しになったのではないかと想像します。

目の前の壮絶な現実を直視すればするほど、「もうだめだ」と思って、鬱や自殺などにつながってしまうのかもしれません。

不謹慎だけれど、こういう時こそほんの少しの笑いというのも必要なのかもしれないと、鯰絵を見て思いました。