ピカソという人
スペインの画家「パブロ・ピカソ」。
最も多作な芸術家として知られている彼は、91歳の生涯で下記のような作品の変化をしていきます。
青の時代(1901年~1904年)
ばら色の時代(1904年~1907年)
アフリカ彫刻の時代(1907年~1908年)
キュビスムの時代(1909年~1912年)
総合的キュビスムの時代(1912年~1918年)
新古典主義の時代(1918年~1925年)
シュルレアリスム(超現実主義)の時代(1925年~1936年)
ゲルニカの時代(1937年)
晩年の時代
このようにがらりと作風を変ることや、私生活のエピソードなどから、ピカソはある特性があったといわれています。
発達障害の可能性
ピカソの特徴的なエピソードを紹介すると
・幼少期は落ち着きがなく、勝手に席を立ったり、ノートに落書きをした
・勉強には集中できないが、絵だけは並外れた集中力を見せた
・すぐにいろいろと閃き、そちらに注意がいってしまい、きっちり完成させずに途中で投げ出して次に移ってしまうこともあった
・アイデアはあふれてくるが忘れっぽかったので、常にノートを持ち歩きアイデアを書き留めた
・依頼された仕事を先延ばしにした
・一つのことで完璧を目指すより、次々に新しいことに取り組んだ(生涯におよそ1万3500点の油絵と素描、10万点の版画、3万4000点の挿絵、300点の彫刻と陶器を制作)
・人づきあいが好きだったが自己中心的で、協調性がなかった
・部屋が片付かなかった
・探し物を同居人に頼んでいた
これらの特性から、ピカソはADHDだったのではないかと言われています。
発達障害によってユニークさがもたらされる
発達障害というとネガティブな印象をうけますが、脳の偏りによって他の人がまねのできないユニークな部分が開花されるのだと思います。
ピカソにしても好奇心旺盛だけれど飽きっぽい特性が、このような様々な作風を生み出してきたと言えるのではないでしょうか。
もちろん周りの人の理解があってこそだとは思います。
ピカソも才能を見つけた父親の支えなしには、伸びなかったかもしれません。
いろいろな要素が重なることで、天才が生まれたのだと思います。
発達障害をネガティブにとらえず、神様からもらったギフトだと思って、その人の持っている資源を見つけて応援していくことが大切なのだと思います。