海に面した坂の町は桜の花盛りだった。
坂道の狭い歩道を女性たちのグループが海の方へと下っていく。2人並んで歩くのがやっとの細さなのに、語らったり、ふざけあったり、桜の花の写真を撮ろうとしたりで、坂道の歩道はずいぶん賑やかになった。
桜の花と若い女性という組み合わせには、三好達治の詩を思い浮かべてしまう。
あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音(あしおと)空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍(いらか)みどりにうるほひ
廂(ひさし)々に
風鐸(ふうたく)のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃(いし)のうへ
引用元:「甃のうへ」三好達治 「測量船」より
キャキャッと元気な声が聞こえてくる坂道の女性たちと、しめやかに語らい歩む氏の中の女性たちではイメージがずいぶん違っているけれど、春になって桜が咲くと人間にも生命のちからが内側からあふれてきて、美しくなる。
坂道を下りきった浜辺には明治時代の小説の舞台となった名所があって、物語のワンシーンをかたどった彫刻も建てられている。要するに観光スポットなのだけれど、そこでもまた、咲き誇るかのような命のきらめきにあふれる人たちの姿があった。
彫刻と同じポーズで記念写真を撮る人たち。周りの別グループの人たちもぷっと吹き出して笑顔になる。
おりふしに瞳をあげて歩みゆくような春もいいけれど、笑顔が爆発するような春も悪くない。そんなふうに思ったりする自分の中にもまた、たしかに春のちからが満ちているのを感じたのだった。