清原容疑者「覚醒剤取締法違反」で逮捕。でも「末路」報道は酷くないか

ヘッドラインを見てるだけだが。

清原容疑者、現役時代の栄光どこへ…覚醒剤所持で現行犯逮捕
2016年2月3日6時0分 スポーツ報知

引用元:2016年2月3日6時0分 スポーツ報知

豪快番長ついに転落 「薬物疑惑」否定続け 知人ら無念「うわさかと」
毎日新聞2016年2月3日 東京朝刊

引用元:毎日新聞2016年2月3日 東京朝刊

清原容疑者、覚せい剤逮捕!記憶に残るスター選手、悲しすぎる末路
スポニチ Sponichi Annex 2016年2月3日 05:33

引用元:清原容疑者、覚せい剤逮捕!記憶に残るスター選手、悲しすぎる末路 ― スポニチ Sponichi Annex 野球

ネットニュースのトップも清原和博覚醒剤所持で逮捕の一色。夢を売るのがプロ野球選手という言葉はほとんど死語かもしれないが、あの清原が、やはり、という衝撃は大きかった。応援していたのに裏切られたという人もいたかもしれない。

しかし、スポニチ見出しの「悲しすぎる末路」って何だろう?!

覚醒剤を所持した(使用もしたかもしれない。残念だが…)という罪状はあるものの、末路という言葉は酷すぎないか。国語辞典(新明快五版)によると「末路」とは、

盛んだったものが衰えた悲劇的な最後

引用元:新明快国語辞典五版 三省堂

もちろん清原容疑者はすでにプロ野球選手を引退しているから、盛んだったものが衰えた状況にはあっただろう。しかし、解説者や指導者、あるいはタレントとしての人生は盛期と呼べるような状態にも至ったことすらなかった。彼の第二の人生はこれからだったのではないか。ましてや清原容疑者の年齢は48歳。まだまだこの先いろいろな可能性があるのは間違いない。

それなのに「末路」とは。

この記事を書いた記者、あるいは見出しをつけた整理記者には、自分の言葉が、ひとりの容疑者の人生を「末路」に追い込もうとしているという意識があるのだろうか。ましてや記者たちは自らの名前すら明かさないまま、末路なる言葉を使ったのだ。

清原和博容疑者がプロ一年目だった時の日本シリーズ。ヒーローインタビューのひな壇に立った清原和博選手は、「伊東さんがあんなことになったので、絶対に負けられないと思った」と顔面にデッドボールを受けた伊東勤選手のことを案じる言葉を発した。そのとたん、ビジターだった球場のスタンドからは「しょーもない! しょーもない!」とのヤジの声。そんなヤジの声に抗するように、しばし無言でスタンドを見返した後、「明日も勝ちます」といった10代の日の清原和博氏の姿を思い出す。

人生に末路なんてない。あるとすれば死んだ後になって他者が評して語るだけの言葉でしかない。清原和博氏の再起に期待する。