原爆ドームを見学した後、電車通りを渡ったら、薄暗い茂みの中になにやら不思議な丸い玉みたいなのが見えて、気になって気になって仕方がなくて、ぐるっと反対側に廻ってみたら、それはVの字と野球のボールを組み合わせたオブジェ――。
広島東洋カープの優勝記念碑なのでした。
右がセントラル・リーグ優勝記念碑、左は日本選手権シリーズ優勝記念碑です。それぞれ拡大してみてみましょう。
カープが初めてリーグ制覇したのは1975年。球団創立25年目のこと。それまではっきりいってリーグを代表する弱小チームという他なく、初優勝前年までの24年間で勝率が5割を超えたのはわずか3回しかないほどだったんですね。この年に監督に就任したジョー・ルーツの提案で帽子とヘルメットの色が紺から赤に一変(ルーツ監督はフロントと対立し辞任。優勝監督は古葉竹識)。初優勝は「赤ヘル」が誕生したその年のことだったのですね。奇しくもこの年、山陽新幹線が岡山から西に延長されています。広島からの遠征の苦労が大きく軽減されたことから、優勝の影の功労者は新幹線なんていわれたこともありました。
1979年、1980年の2年連続優勝の頃が赤ヘル全盛期と呼ばれますが、その後のカープも強かった。山根和夫、北別府学、大野豊、川口和久、津田恒美、川端順とピッチャーの名前を挙げただけでも錚々たるもの。野手にもいい選手が多くて書ききれません。84年は阪急ブレーブスを倒して3度目の日本一。86年には西武ライオンズと死闘を繰り広げ、第一試合の引き分けの後、三連勝・四連敗で日本一の座をのがしています。
カープが最後にリーグ優勝してから24年になるなんて、ちょっと意外な感じです。来年は最後の優勝から25年目。初優勝の時みたいに勝利を飾れるといいですね。
しかし、この優勝記念碑、あと2行くらいしか入りそうにないのがちょっと心配です。MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島に本拠地を移したから、優勝記念碑も新調されるのかもしれませんが。
日本シリーズでのカープの活躍も見応えがありました。何と言っても最初の日本一を決めた有名な「江夏の21珠」です。近鉄・石渡茂のスクイズを見ぬいた江夏豊が、投球モーションの途中から球筋を変えてスクイズ空振り、三塁ランナーを封殺した伝説的な名場面もありました(ここ広島ではなく、大阪球場での試合でしたが)。
1980年の日本シリーズ第2戦では相手方、近鉄の吹石徳一(あの吹石一恵のお父さんですね)、マニエルの3ランなどで連敗するも、敵地で3,4戦を取ってタイに。しかし5戦を落とした後、本拠地・広島市民球場に帰ってきて連勝。まさに死闘の末に連続日本一に輝きました。
1984年の日本一も含め、広島の日本一はすべて7戦まで闘った上での栄冠だったのですね。ちょっと驚きました。これがカープらしさというものなのかもしれません。
記念碑が建てられた森は「勝鯉の森」と呼ばれているそうです。2つの優勝記念碑のほかに、衣笠祥雄選手の2,131連続出場の世界新記録達成記念碑もあります。そして記念碑の向かいにあるのは……。
広漠たる空きスペース。時々イベントに使われることもあるようですが、かつての本拠地・広島市民球場の跡地です。グラウンドだけではなくスタンドも含めての跡地としては、かなり狭くも感じられますが、ここで数々の名場面が繰り広げられてきたのです。優勝記念碑の場所に立って球場の跡地を眺めていると、かつての大歓声や広島人ならではのキツ~いヤジが聞こえてくるような気がしてきます。
広島の街の中心部に広がる球場跡地。不思議なオーラが感じられる場所です。