聖地の灯が消える

1972年12月のオープン以来、ボウリングの聖地と言われてきた東京の『田町ハイレーン』が、昨日3月29日に42年続いた営業を終了し、閉館しました。

営業最終日となった29日は午前10時から午後2時まで、2ゲーム無料のサービスとし、たくさんのボウリングファンが別れを惜しみました。

坂本龍馬が最初の日本人ボウラーかも

日本のボウリング発祥の地は、長崎の出島。1861年6月22日にボーリングサロンなるものができ、この日を記念して、6月22日を「ボウリングの日」と設定しています。残念ながら国民の休日にはなっていません。

1861年といえば、大政奉還よりも前です。最初に日本人でボウリングをしたのは、坂本龍馬とも言われています。龍馬は刀を外してゲームを楽しんだのでしょうか。邪魔ですからね、刀。

当時のピンは9本で、ダイヤモンド型(菱型)の並び方だったと推察されています。というのも、もともとボウリングのピンは9本だったのです。宗教改革で有名なマルティン・ルター(Martin Luther)が9本のピンの並びを考案したらしいです。

ヨーロッパ中で大ブームであったボウリングは外で行われていましたが、日本の室町時代には、ロンドンに屋内レーンがつくられます。この頃日本人は、どんな遊びをしていたのでしょう。

そしてアメリカにも広がりブームとなりますが、ギャンブルに使われるようになり、アメリカ中の州議会で、ボウリング禁止令が出されました。この時日本は江戸時代です。

20年間のボウリング禁止に対抗して、頭の良い人が対策をします。「ピンが10本だったら法律に触れないだろう!」

で、今の10本の配列になりました。大政奉還の7年前のことです。

民間初のボウリングセンターは青山だった

1952年(昭和27)、港区青山に民間初のボウリングセンター『東京ボウリングセンター』がオープンします。手動式20レーンのセンターです。手動式とは、ピンボーイという従業員がレーンの後ろにいて、手でピンを立てるのです。パチンコ屋さんも昔は、シマ(パチンコ台の列)の中に従業員がいて、玉が詰まると、裏から直して、玉を出していました。ピンが自動でセットされるなんて、夢々思わぬ時代かと思いきや、アメリカでは既に6年も前に自動でピンをセットできるようになっていました。

日本に自動のマシンが設置されるようになっていったのは、1961年(昭和36)からです。

日本人最初のパーフェクトボウラー(300点)は岩上太郎さんです。10年後の1967年(昭和42)に設立される日本プロボウリング協会の第1期生のうちの一人です。当時はまだ学生でピンボーイのアルバイトをしていました。

当時は日本に一つしかないボウリング場ですから、庶民が遊べるところではありません。『東京ボウリングセンター』は会員制で、入会費は3万円、月給が平均1万円の時代にですから、政財界や芸能人、駐留軍関係者の遊びでした。50人ものピンボーイの他に、スコアキーパーというスコアをつけるための女性がいて、上流階級の人たちや駐留軍関係者の応対をするため、教養と英語が必須な花形の職業だったようです。

その後自動でピンがセットされるマシンの普及により、ボウリング場の数が急増し、昭和40年代の空前のボウリングブームへ向かうことになります。

国民的大ブームの立役者、美人ボウラー中山律子

日本人最初の300点を出した岩上太郎や、矢島純一、石川雅章の男子プロ1期生、五月みどりの弟で、小松みどりの兄であった8期生の西城正明、仕草が独特の大橋明などの男子プロが活躍し、ボウリングのTVレギュラー番組が増えていきます。男子プロたちが繰り出すハイスコアに、羨望の眼差しを送って見入っていました。

そして、1969年(昭和44)に日本女子プロボウリング協会が発足、第1期生として13人の女子プロが誕生します。

この時の上位合格者5人が、その後のボウリングブームに一気に火をつけます。プロテストの合格ラインは、1日9ゲーム、4日間通算36ゲームを投げ、平均点180点以上です。もちろん4日間ぶっ続けです。

結果は、
          1日目 2日目 3日目 4日目 合計 平均点 あまり
1.須田開代子(30) 1783 1743 1714 1822 7062  196- 6
2.中山律子 (26) 1808 1794 1824 1617 7043  195-25
3.石井梨枝 (21) 1827 1742 1532 1668 6769  188- 1
4.海野房江 (30) 1781 1674 1719 1541 6715  186-19
5.並木恵美子(21) 1640 1830 1674 1557 6701 186- 5
他8人が合格。()内は年齢。
※当時は、アベレージの計算をするときに、小数点を用いず、「あまりいくつ」という表示でした。

中でも一番の美人といわれた中山律子がテレビ中継の決勝の場で日本女子プロ第1号パーフェクトゲームを達成し、一気に話題となります。美貌と実力も相まって、TVCMにも器用されます。

♪ 律子さん 律子さん 爽やかぁ 律子さん 爽やか フェザー ♪
花王フェザーシャンプーのCMです。当時爆発的に売れたシャンプーです。
なんとシェア80%です。

「美しきチャレンジー」というボウリングのスポ根ドラマ(新藤恵美主演)が始まり、27.2%の好視聴率。
テレビのボウリング番組は週7本も放映されていました。

1年遅れた2期生には野村美枝子。小柄でキュートなサウスポーは、日本の「ダニエル・ビダル」と喩えられました。同じサウスポーの1期生石井利枝(プロテスト時は石井梨枝)も、宝塚歌劇団出身の長身の美人でした。

中山は「日本のジャンヌ・ダルク」「ボウリング界のソフィア・ローレン」などと言われ、彼女の5歩助走からの投球フォームは、日本中の注目を集めました。

須田、中山、並木の緊迫する戦いと石井、野村のサウスポー、渋い実力者の海野、斉藤志乃ぶ、井上和子らに、お茶の間は完全に釘付けになっていました。

1972年(昭和47)、1973年(昭和48)に並木が2年連続で賞金1,000万円プレーヤーとなります。当時の全プロスポーツでは、並木の1,000万円が最高金額でした。それだけボウリングの注目度、スポンサードが凄かったということです。

ブーム時は、ボウリング場に行って受付をしてから、2-3時間くらい待つのは当たり前でした。その長い待ち時間さえ、ドキドキ、ワクワクしっぱなしでした。

こうしたボウリングブームに便乗して、大企業が参入して大型ボウリング場の建設ラッシュが全国で始まりました。100レーンとが120レーンとかの超大型センターの建設です。半分出来たところでオープンして営業しながら、もう半分を仕上げていくという建て方もされました。

ところが、この頃からボウリングブームに陰りが出始めます。

中東情勢の悪化による第一次オイルショックです。

地価高騰によるインフレが背景にあった中、オイルショックにより、原油価格は2倍に高騰し、インフレに更なる拍車がかかります。インフレ抑制のため公定歩合が引き上げられた結果、企業の設備投資は抑えられ、戦後から続いていた経済成長は、初めてマイナスに転じます。高度経済成長の終焉です。

乱立したボウリング場は、一気に空き始めます。ブームが去ったというより、ボウリング場ができ過ぎたため、待たなくてもいつでも出来るようになり、「ありがたみ」が薄れたのだと思います。さらに、インフレによるゲーム代金の高騰というダブルパンチとなりました。建設中だったボウリング場の増床は中止、やがて、ボウリング場同志の競争で、閉鎖するセンターが相次ぎました。

一時期は持ち直しを見せたのだけれど

最盛期には、3,697もあったセンター数は、昨年で852センターまで減少しました。とはいえ、一時期持ち直しも見せてはいました。オートマチックスコアラーの登場です。

点数の自動採点機です。今、ボウリング場では当たり前の。1981年(昭和56)が初登場です。それまで、スコアは手書きです。

「自動で点数がつくんだって。だったらボウリング行ってもいいね」のちょっとした見直しブームが起き、スコアがオートか手書きかで、客の入りに差が出るようになったため、各センターは、こぞってオートマチックスコアラー(名前が古るくて長いです)を導入することになりました。ブームの時でさえ「スコアをつけれるなんて、すごーい」と一目を置かれるくらい、実はスコアをつけれる人は意外に少なっかたのです。

どんなブームじゃ!

2001年(平成13)9月、東京オリンピックの年にオープンした港区の『芝ボウリングセンター』の灯が消えました。104レーンの大型センターでした。2011年(平成23)4月、池袋の『ハタ・スポーツプラザ』の灯も消えました。100レーンの大型センターでした。

1997年以降、東京の老舗のボウリング場が続々と姿を消していきます。門前仲町の『深川Aボウル』、芝公園の『東京タワーボウル』恵比寿の『恵比寿グランドボウル』、豊洲の『ドゥ・スポーツ・プラザ』、月島の『東京エース・レーン』、、、

そして3月29日にとうとう『田町ハイレーン』が、42年続いた営業を終了し、閉館となりました。

2014年5月、男子17名(53期生)、女子16名(47期生)のプロボウラーが誕生しました。一次テスト、二次テストとも、男子は1日15ゲーム✕4日間の60ゲーム、女子は1日12ゲーム✕4日間の48ゲームを行い、各テストともアベレージ(平均点)が男子は200点以上、女子は190点以上の基準をクリアしての合格者です。

男子は高淵常志(岡山県)が16歳5ヶ月17日で史上最年少プロ、女子はトップ合格の寺下智香(北海道)の19歳をはじめ、19歳3名、18歳4名、合計7名の10代のフレッシュなプロが誕生しました。

これからのボウリング界を盛り上げてくれる活躍を期待したいと思います。

奇しくも二次テストの最終日は、『田町ハイレーン』で行われていました。