今朝起きてテレビをつける。
すると「アメリカがキューバと国交正常化交渉を行うことを発表した」とニュースが報じていた。
見た瞬間に眠気が覚めた。そして、8年以上前の日のことを思い出し、一抹の後悔のようなものを感じた。
8年前、中米にて
8年前、私は中米を旅行していた。
日本からアメリカを経由してメキシコに渡ると、首都・メキシコシティを起点として、メキシコのほか、グアテマラ、ホンジュラス、コスタリカ、ベリーズなどの中米諸国を約1カ月半かけて回った。帰国便はカリブ海のリゾート地、メキシコ・カンクンからのフライトであった。
中米を周遊し、カンクンに到着した際に3、4日ほどの時間があった。その際、キューバに行こうかと迷っていた。
なぜメキシコでキューバ行きを考えたのか?
それはメキシコとキューバが思いのほか近いことによる。カンクンとキューバはカリブ海を挟んでわずか200kmほどの距離である。キューバの首都・ハバナまで直線距離にしても500km程度と、東京から青森へ行くようなものである。
おまけにカンクンからは直行便が首都のハバナまで飛んでいて、アクセスもいい。キューバは一部のバックパッカーには根強い人気があり、カンクンからハバナへ飛ぶ旅行者も少なくない。私もアクセスの良さとキューバの魅力に興味を持ち、カンクンでキューバ行を考えていたのだった。
しかし、結果として私はキューバへは行かずに、カンクン沖に浮かぶ島、イスラ・ムヘーレスで旅の終わりを楽しむことにした。そのことを今更ながらに悔やんだ。
なぜならば、国交正常化によりキューバの魅力が失われてしまうのではないだろうかと思ったからである。
キューバの魅力
カリブ海に浮かぶ島国のどこに旅人が惹きつけられるかというと、時間が止まったような街の光景や人々の暮らしぶりにある。キューバの人たちはものを大切にし、修理しながら使い続けているために、21世紀に入った今なお、1950年代を彷彿させるものが残っていると聞く。
たとえば街を走っている「車」。キューバでは1959年の革命以後、新車の販売が禁止されたために古い車を修理しながら大切に使用している。そのため、首都ハバナは、クラシックカーのような数十年前の車が現役で走っているという。直して使う習慣は何も高価な車だけに限らず、使い捨てライターまで修理するというから驚きである。キューバは環境に優しいエコ大国とも言われている。
エコ大国になった要因
キューバがエコ大国であるのはその歴史に要因がある。
15世紀の終わりにコロンブスに発見されて以降、キューバは長い間スペインの植民地となっていた。しかし、2度の独立戦争と米国の協力を得て、20世紀初頭に独立を果した。だが、スペインからの自由を勝ち取ったものの、今度は事実上、米国の支配下に置かれることになってしまった。
それを打破すべく立ち上がったのが、フィデル・カストロである。カストロはチェ・ゲバラらと共に1959年、キューバ革命を起こして米国の影響力を排除すると社会主義国となる道を選んだ。米国はキューバとの国交を断絶し、経済封鎖を行った。その結果、キューバへの物資の輸入が途絶えてしまい、新しいものが手に入らなくなってしまった。
このような状況下で、キューバは今あるものを大切にし、壊れた際には直して使う国になった。
大量に生産し、そして消費する。サイクルの激しい消費活動は経済を活発にする一方、地球環境には多大な負荷をかける。多くの先進国がしっぺ返しとなっていずれ自分達に襲いかかってくることを避けるために環境によい社会を目指しているのとは異なり、キューバは必要に迫られて、なるべくしてなったエコ大国といえる。
理由はともあれ、キューバはものを修理し大切に使い続けていることにより、1950年代の光景が残されており、旅行者にとって魅力的な国である。
<キューバの魅力と旅行者から見た国交正常化交渉について ~後編~ へ続く>
キューバ
参考WEBサイト
Text:sKenji