当時の国際秩序が透けて見えるリットン報告書の内容

リットン調査団は、1931年(昭和6年)日本の関東軍が起こした満州事変に中華民国が国際連盟に提訴したのを受けて、派遣された国際連盟による調査団。教科書にも登場する右の写真で有名だ。

国際連盟が派遣したリットン調査団は、1932年10月2日に報告書を提出した。授業では報告書の詳しい内容までは教わらなかったが、この報告を受けて日本が国際連盟を脱退することになるのだから、日本が満州国の権益を保持する上で非常に都合の悪いものだったのだろうと思っていた。ところがそうではないという指摘も数多く行われている。

リットン報告書は「15年戦争資料 @wiki」で全文を読むことができる。出典は「外務省全訳『リットン報告書』(東治書院、昭和7年10月10日)」とされる。(戦前の翻訳なので、あるいは問題があるかもしれないが)

柳条湖付近での満鉄の爆破地点を調査しているリットン調査団

ja.wikipedia.org

その「第九章 解決の原則及条件」には、満州における日本の権益は無視することができないものなので、どのような解決法をとるにしても、この日本の権益を承認し、日本と満州の歴史的関係を考慮しなければ満足ではないということが記されている。そのほか満州では中国政府の主権に一致し、かつこの地域の特徴に合致した広範な自治が行われるべきだ。日本と中国が不可侵条約を結ぶことで、満州地域の外部的侵略を防ぐ。地域内の秩序は地方憲兵隊によって守る。日本と中国の経済関係を改善する。衰退した中国の内部的改造を行うため一時的な国際協力を行う。など記載されている。

満州は中国の領土だが、日本がそこに特別な権益を持っていることを認めた上で、満州を自治地域とする。中国そのものの内部的改造には国際社会が協力(介入)する。

日本が清国・中国への介入や進出を始める以前から、欧米列強は中国大陸への支配強化を進めていた。満州での日本の行動を糾弾することは、自国の行動をも否定することになりかねない。だから主権は中国にあるものの日本は特別な権益を有しているという、現代からすると不可思議な報告になったものと考えられる。

一部では、リットン報告は日本の満州での行動を国際社会が容認したものだと言われるが、むしろ列強が自国の権益を守るために、日本の権益も認めたというように読める。さらに中国本体は内部的改造が必要であり、それに対しては協力するとまで言っていることからは、満州での騒乱にかこつけて、中国各地にある自国の権益を拡大しようという意図さえ感じられる。

リットン調査団の委員は以下の5人だった。

・リットン伯爵(元イギリス領インド帝国総督)
・クローデル陸軍中将(フランス植民地軍総監)
・ヴィアーノ伯爵(イタリアの外交官)
・シュネー博士(元ドイツ領東アフリカ総督)
・マッコイ陸軍少将(アメリカ軍人)

このメンバー構成はいったい何なのだろう!

列強が植民地を支配するという秩序を維持するための調査報告、あるいは植民地主義国グループによる「手打ち」勧告と見立てるのは言い過ぎだろうか。

そのような報告書が植民地支配に抵抗を続けたガンジーの誕生日、しかも彼がインドの独立運動の最中にあった時代に行われたことは、歴史の皮肉と言うほかない。