海岸近くにこんもり盛り上がった丘。これは何?
ロシナンテス東北事業部の紹介で、コンパスポイントという団体のみなさんと東北で出会った。「情熱を持つ全ての人が、様々な世界の人たちと繋がりあいながら活躍できる世の中を実現すること」との明確なビジョンをもって活動する若手社会人の方々と合流して向かったのは、仙台空港すぐ近くの千年希望の丘。
津波で被災した廃材などを活用して丘を築き、植樹をして森を育てようという話から、防波堤のような丘を想像していたのだが、実際はまるで古墳のようなこんもりした丘。丘の上はまるで公園の東屋みたいになっている。
この丘で津波が防げるのだろうか……。かなりびっくりした頭のまま、とにかく丘の頂上を目指す。緑の防潮堤というより造られたばかりの円墳のイメージ。ただしこの墳丘に埋められているのは埴輪ではなく、津波で被災した廃材だ。
コンクリートの堤防ではなく、緑の丘をみんなの手で
東日本大震災の津波でこの辺りは大きな被害を受けましたが、松島は湾に点在する島に守られて、津波被害が少なかったことをご存知でしょう。千年希望の丘はいくつもの丘を築くことで、松島の島と同じように丘が津波を分散させ、波が分かれて行ったところにまた別の丘が津波を分散させ、津波の力を削ぐことで被害を抑えようという考えで造られているんです。
丘の頂上で説明してくれたのは、NPO法人がんばッと玉浦理事の谷地沼富勝さん。
ずばっと説明してくれたおかげで、なるほど!と呑みこめた。
ちなみに上の写真は千年希望の丘の周辺をイメージして頂上に設置されたもの。手前青いタイルは太平洋。少し見えにくいが陸地に走るグレーのラインは阿武隈川や貞山堀などの河川。そして6つの青いポイントはかつて集落があった場所。人物の影になった小さな6つのポイントはかつての集落の人々が新たにつくる町。そして赤いテラコッタ風の大きなタイルが千年希望の丘。津波以前の集落が、未来に向けて再生していく決意を示すモニュメント。
手を広げて説明している影が谷地沼さんなのは言うまでもない。
丘の上からは、工事が進められている第2、第3の丘が見渡せた。その先には仙台空港の管制塔。
あの日のテレビ映像がよみがえる。空港の滑走路に押し寄せた黒い津波は、空港だけではなく周辺の岩沼市の平野部でも建物を、車を、そして人々の命を呑みこんでいった。
かつて集落があった場所は危険区域に指定され、家を建て直すことができなくなった。工事が進むエリアにも、撤去されるのを拒むかのように住宅基礎が残されている。
ここは、人々の暮らしがあった土地。鎮魂の場。
千年希望の丘“ 第1号 ”完成記念
東日本大震災の記憶や教訓を未来へ引き継ぐメモリアル「千年希望の丘」は、千年先まで岩沼市が持続可能なまちであってほしい、千年後の命も守りたい、そのような思いで整備を進めています。
丘には災害廃棄物を再生活用し、津波の力の減衰、避難場所の確保、そして鎮魂など多くの意味が込められています。
このたび、国内外から多くの皆様に寄付や支援をいただき、未来への希望を託した植樹によって第1号の丘が完成しました。復興のシンボルである「千年希望の丘」が、人類の知恵の遺産、そして子ども達の希望となることを期待します。
2013年6月9日
岩沼市長 井口経明
引用元:「千年希望の丘“ 第1号 ”完成記念」の銘板より
ずっと昔には、この辺の海でカニがたくさん獲れたらしくてね。名前に釜がつく集落があったのはカニを茹でる釜があったからっていう話を聞いたことがあるよ。
自分たちがこどもの頃にはもうカニは獲れなくなっていたけど、魚はたくさん獲れてたね。もちろん遊び場は海。釣りをしたり水遊びしたり。でもやっぱり海だから過去には事故でこどもが亡くなったこともあって、ちょっと危ないことがあるとみんなそのことを思い出すんだ。ここの海は危険なんだって。でもしばらくすると、やっぱり海で遊ぶんだよね。
いまじゃまばらになったけど、津波の前まではずっと松林が広がっていて。このへんも遊び場だったね。南の方は少し深い森のようになっていて、そこは大人の人たちがちょっと危ない遊びをしていたりしてね。
「危ない遊び??」
ほら、ゴーグルつけてエアガンを打ち合うサバゲー。名所だったみたいだね。フフ…、危ない遊びって、なんか変なこと想像しただろう?
海辺近くの希望の丘の頂上に立ち、谷地沼さんやコンパスポイントのみなさんと話をしていると、復興ってなんなのか、これまで持っていたイメージがぐぐっと動いていくような感じがする。
言葉できれいにまとめて「はいどうぞ、これが復興への希望です」なんてことはできっこない。
1000年後――。もちろんぼくもきみもいない
千年希望の丘の植樹には、世界で一番たくさん植樹を行った「植樹の神様」宮脇昭さん(横浜国立大学名誉教授)が植樹指導にやってくる。去年の第1回植樹祭も、今年5月の第2回目にも。そして、千年先のこどもたちに希望を託すための植樹を行う。
宮脇さんが提唱する植樹方法にはいくつか特徴がある。そのひとつが「隣り合わせには別の種類の木を植えること」。これは、その土地本来の森の姿を甦らせるという考え方によるものだという。
もうひとつは「密植」。写真を見てもらえばわかるように、木と木の間がとても狭い。ぎゅうぎゅう詰めで、とてもじゃないけどすべての木が大きく成長するとは思えない。
しかし、隣り合わせた木と木が互いに競い合うことで、根が深く伸びる。競争に負けた木は枯れてしまうが、残った木はさらに大きく成長していく。そんな自然に近い環境を再現することで、その土地本来の自然の森、災害に強い森がよみがえる。
いまはまだ、遠くからだと木だか草だか分からないくらいの苗木が生える丘だが、数十年後には林になり、百年後には森になる。数百年後には、たくさんの種類の巨木が茂ったまるで鎮守の森のようになっていることだろう。海辺近くに点在するこんもり生い茂った森は、谷地沼の言うように、本当に島が並んでいるように見えるかもしれない。その頃には木々の根は災害廃棄物に絡みつきながら大地に達し、空に伸びる枝々は丘の原形が分からないほどにしているはずだ。
その時、ぼくらは間違いなく生きていないだろう。80歳を越えてなお、あと30年は植樹を続けたいという宮脇さんでも、さすがに存命ではないだろう。しかし、こどもたちは命をつないで生き続ける。はげ山のような丘をぼくらが見たのと同じ場所で、未来のこどもたちは鎮守の森のような、島のような森を見ていることだろう。
震災の記憶。津波からの避難。自然の力を見いだして、次の世代につないでいった人々の叡智。
千年希望の丘からの下り道、すでに枯れ始めた何本かの木があるのを目にして、ぼくたちはたしかに未来につながっていっているんだねと、語り合った。
写真と文●井上良太
寺子屋も健康農業もとにかく真っ直ぐまっとうに! 東北に生きるロッシーたちのブログです。