不祥事があれば何でも規制の口実に。STAP細胞問題で安倍首相が研究の不正防止強化を指示。安倍政権が口出しした後に何が残るのか――。それは研究の自由の死に他ならない。
メディア各社のニュースが伝えた。安倍首相が政府の総合科学技術会議で、STAP細胞問題のような不祥事が再発しないように、不正防止強化を指示したという。
これってなんかヘンじゃない?
ニュースのテキストが長期間残るという点ですばらしいメディア、日テレNEWS24のWEB版を引用します。
総合科学技術会議 研究不正対策を検討へ
(東京都)
STAP細胞の論文に不正があったとされる問題などを受けて、安倍首相は14日、政府の総合科学技術会議で再発防止に向けた対応策を検討するよう指示した。
「国家戦略として、科学技術イノベーションの推進に取り組んでいる中で、近年の研究不正事案の頻発は、我が国の研究開発力の基盤をむしばむものであり、大変遺憾であります」-安倍首相はこのように述べた上で「個別事案ごとの対応策では不十分だ」と指摘し、再発防止に向け「研究現場の実態を踏まえ、個別事案を超えた大きな観点から検討してほしい」と指示した。(後略)
科学技術イノベーション推進は国家戦略なのだから、研究不祥事の頻発は国の問題でもある。だから国として再発防止策を強化したい。それも個別案件への対応ではなく、もっと大きな網を掛けるように。
おいおい、そんなこと許していいのかよ!
科学を研究するのは誰? 政治家ではありません
煎じ詰めてみれば、研究は研究者が個人的な発想や考え方に基づいて自由に進めるものでしょ。組織の誰かに「これを研究しろ」と指示されることも勿論あるだろうが、究極的に研究とは極めて属人的ななりわいだ。資金や施設や身分の保証など、環境が許す限り、言ってみればやりたいようにやれる自由がなければ、この世に存在しないイノベーションなど起きるワケがない。
基本何でもありなのが発明とか発見の本質だけど、それがホントかどうかは別の話で、誰かが主張する発明や発見をチェックする機能はすでにある。論文の査読とか学会誌や著名な科学誌への掲載という仕組みだ。それが機能しているからこそ、世の中へんてこな発明や理論のお花畑にならずに済んでいるのである。
今回のSTAP細胞をめぐる問題は、そのような既存のシステムを潜り抜けるような不正が行われた恐れがある、という点で重大ではあるが、だからといってこれまでのチェック機能がすべてダメ、ということではない。
人間がやることだから必ずミスはある。過去にもスキャンダラスな研究不正がなかったわけではない。しかし、その都度、研究者たちによる自浄作用が働いて、全体として研究の信頼性は担保されてきたし、いまも担保されている。
そこに出たがり屋で、話題となっている出来事には口を挟まずにはいられない人物が絡んできたというのが、今回の出来事のあらすじだ。
強大な権力が研究に対するチェックを強化しようということは、研究の自由に逆行する危険性が極めて大きい。
どのようなチェックが強化されることになるのか現時点では分からないが、研究に何らかの枷(かせ)が掛けられることになるのは間違いないだろう。下手すると他人とはちょっと違うものの見方、考え方をするやや異端な研究者が、これまで以上に苦労することになりかねない。新しい何かとは、いつも異端から生まれてきたものなのに。
イノベーションを国家戦略とするからという理由で口出しして研究に枷を掛けることになると、結果としてイノベーションそのものが出来にくい状況になりかねない。要するに自由な研究の死だ。
それに、「何か不祥事があって国民的に人々の口の端にのるようなことがあれば、すかさず政治が介入して何らかの規制を始める」なんてことが常態化してしまうとさらに恐ろしいことになる。研究のみならずブログを書いたり、歌を歌ったり、絵を描いたり、自由の発露であるさまざまな生き方が縛られる世の中が到来するかもしれない。「1984」か「博士の異常な愛情」を逆立ちさせたかのような世界……。ため息しか出ないだろう。
「かくあるべし」みたいな枷なんかない方がいいに決まってるのだ。
もうひとつ、驚くべきはこれまで政府が行ってきた科学技術政策そのものに対する自己チェックが行われているように見えないことだ。国は予算や環境をコントロールすることで研究現場に深く関与してきた。今回の不正事案と呼ばれるものに対して、まったく責任がないわけがない。「悪いのはいつも君たちだ。責任者であるぼくが管理しちゃうもんね」的なセンスは不可解そのもの。
無責任なパフォーマンス政治で自由が損なわれてはたまらない。
現場で研究にたずさわる人々の徹底抗戦を、わたしは徹底的に支持します。
文●井上良太