ピッチャー、則本昂大(のりもと たかひろ)。
引き絞った弓が放たれるような彼の投球は、勝敗を越えて日本中に響き渡った。
8回2失点10奪三振。数字よりもそれ以上のものを、日本シリーズでルーキーが開幕投手として投じるのが60年以上ぶりだとか何であるとかいうことをすべて吹き飛ばして、ただあのマウンド上で球を投じ続けた。見事だった。
勝負である以上、勝ち負けがすべてだ。
しかし、日本シリーズはひとつの勝ち負けだけでは決しない。
彼が投げた試合の一敗は、記録上の1個の黒星としてだけではない、違う意味を持っている。
間違いなく、奴は次に勝つだろう。
対戦相手は、則本の登板予定日にどのピッチャーを当てるべきか、苦悩するだろう。
寒さに凍えながら声援を送ったクリネックススタジアムの人たちはもちろん、
日本中からテレビなどの映像を通して心を送り続けた人たちに、
マウンド上で躍動する則本の姿は、ものすごい何かを送り届けた。
たとえば自分はそこに、
1958年西鉄ライオンズの、3連敗の後の4連勝の空気を見た。
3連敗の後の4連勝。それは1つのスポーツの日本一決定戦という位置付けを越えた、社会のあり方を決する一幕といってもいいほどのものだった。今の時代の人たちには想像もできないことだろうが。
ライオンズのその偉業は生まれる前のことだから目の前で見た訳ではない。しかし、
そこから継承された空気は、1982年の巨人西武戦へとライオンズの中では継承されていった。
その後のこと、いろいろ話し始めればきりはないが、しかし、今日の試合をテレビで見ながら感じたこと、
それは、ベースボールという文法だけでは語れない事件が、仙台のクリネックススタジアムで発生し、それがずっと伝播していきそうだということだ。
則本は2点取られて負け投手になった。
だが、次は負けないだろう。
ヒットを打って一塁ベース上での嶋の眼差しをテレビで目にした人の100%が確信しただろう。
「奴は、見ている。」
嶋という選手が、あの一重まぶたの奥底の深い褐色の眼差しで見据えていたのが、
この日の勝利をどう収めるかということだけでなく、
単純には倒せるはずもない「ここにあるシステム」を引っくり返すこと、
そのことだったということを。
がんばれ。
50年前、高度成長とかいう言葉の下に組敷かれた北九州の人たちの思いと同じく、
大丈夫ですからとの謙譲の言葉を踏みにじられ続けてきた、東北の思いを込めて。
新しい時が訪れたことを、東北の選手たちが形にしていく。
間違いなく。