2013年6月1日 福島県白河市
東北の初夏ならではの淡い新緑の中、真っ白なオオデマリの花が咲いていた。なだらなかな丘に囲まれた畑のような場所に、木造の古民家が1軒。レンガ造りの小屋が1軒。貨車が2両。そして「原発災害情報センター」と掲げられた、まさに建設途上の木造の建物が1棟。
そこが、アウシュビッツ平和博物館だった。空が広かった。鳥たちの声が晴れた空のスコールみたいだった。
屋外に広がる空間は、あまりにも美しかった(しかし、この美しい空間にも放射能がある)。博物館の中でのことは、できるだけ淡々と描こうと思う。
アウシュビッツ平和博物館のこと
1988年、アウシュビッツの惨劇を忘れないために、全国を巡る巡回展がボランティアに支えられてスタートする。タイトルは「心に刻むアウシュビッツ展」。開催数は10年間で110回。のべ90万人の来場者を数えた。
この活動の中心人物は青木進々さん。現在、館長を務める小渕真理さんは、巡回展を見たことから平和博物館とのつながりが生まれた。
2000年、アウシュビッツで犠牲となった人の囚人服や櫛、トランクなどの遺品と多数の写真を展覧する博物館が栃木県にオープンする。展示された遺品は、80年代からホロコーストの巡回展を続けてきた青木さんに対してポーランド政府が特別に貸与したものだという。
多くの来場者を集めた博物館だったが、オープン直後から資金難に見舞われ、閉鎖に追い込まれる。時を同じくして、アウシュビッツ平和博物館の中心人物だった青木さんが逝去する。
2003年、福島県白河市に移転、再オープン。
2004年、平和博物館運営組織を福島県認可・認証のもとNPO法人化し、現在まで活動をつないでいる。
木造の博物館本館には、ナチスドイツの絶滅収容所の資料が展示されていた。展示された凶行の証拠物を見て回っていると、脳がフリーズしてしまうような感覚を覚えた。
このような残虐なことがいかに行われたのか。
人間はなぜあのような凶行を行いえたのか。
その理由をヒトラーという指導者と、ナチスという特殊な政治組織に押し付けていいのか。
小さな博物館なのだが、去りがたい強烈な引力を感じる場所だった。
明治天皇に直訴した田中正造という人
平和博物館では、常設展示のほかに企画展も開催されていた。テーマは足尾銅山鉱毒事件と田中正造。
田中正造といえば、明治天皇に直訴した人として、歴史の教科書にも登場する。直訴というまるで江戸時代を思わせるような手段を、衆議院議員であった田中正造がとらざるをえなかった背景には、こんなしがらみがあった。
銅や鉛などの鉱毒を川に流し、流域のイネが枯死するなど大規模かつ深刻な公害を引き起こした足尾銅山の経営者、古河市兵衛は明治政府と深いつながりを有する人物だった。たとえば、田中正造が初めて鉱毒について国会質問した明治24年当時、農民を守るべき立場にあった農商務大臣・陸奥宗光の二男は市兵衛の娘婿養子だった。そのほかにも多くの政治家や重鎮が古河の側に立ち、正論が通じない閉塞した状況だった。
博物館の展示の中に、興味深いものを見つけた。
それは、田中正造の直訴が大日本帝国憲法(明治憲法)の第9条を期待したものだった可能性を指摘する文章だ。
日本国憲法の第9条は戦争放棄の条文だが、明治憲法の第9条は次のようなもの。
第9条
天皇ハ法律ヲ執行スル為ニ又ハ公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ増進スル為ニ必要ナル命令ヲ発シ又ハ発セシム但シ命令ヲ以テ法律ヲ変更スルコトヲ得ス
法律などに定められていないことでも、臣民の幸福を増幅するためなら、天皇みずからが命令を発することができる、ということだ。
主権在君の憲法だからこその条文だが、田中正造は、そんな超法規的措置を期待するよりほかないところまで追いつめられていた。
そして、同時に、田中正造の直訴は、彼の天皇への信頼感を示すものでもあった。
同じ9という数字で表される条文が、
かたや戦争放棄、
かたや超法規措置による救民
であるというところに、不思議なものを感じたよ。
じっくり思考する時間を、ここで持ちたい
さらに、アウシュビッツ平和博物館の敷地内には、原発災害情報センターも建築されている。
5月24日にはオープニングセレモニーも開催されたが、建物も内部の展示もまだ現在進行形。無理せず少しずつ充実させていくのだと、館長の小渕真理さんは話してくれた。
人類が決して忘れてはならないアウシュビッツの惨禍。
考え続けなければならない虐殺の原因。
歴史の中で繰り返されてきた重篤な環境汚染と、住民を守るための戦い。
そして、いまここにある放射能。
アウシュビッツ平和博物館には、人類にとって重要なものがいろいろと、まとまってボンとそこにおかれている。萃点と言ってもいい場所だと思う。
ここにあるたくさんのものをつなぎ合わせたり、見比べたりして、大切なものをつむぎ出して行くのは、ここを訪れるひとりひとりに課せられた使命だと思う。
うまく、まとめられない。まとめることができないくらい、大きなものがある。
ゆっくり時間をかけて、オオデマリが咲く美しい場所を散歩したりしながら、にんげんについて、じっくり考える時間を持ちたいと思った。