松尾芭蕉が出発したのは川のどちらから?

松尾芭蕉が出発したのは川のどちらから?

月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。

松尾芭蕉の「おくの細道」の冒頭です。中学校で暗記させられた人も多いのでは。

元禄2年3月27日(新暦1689年5月16日)に深川の採荼庵を出発し、約半年に及ぶ東北・北陸遍歴の出発点について、ちょっとした論争があるのをご存じですか。

芭蕉が矢立の初めの句、つまり出発に当たっての句として読んだのは、

行く春や 鳥啼き魚の目は泪

この句を詠んだ場所として、荒川区南千住の素盞雄(すさのお)神社には芭蕉の碑が、また千住大橋のたもと足立区千住橋戸町にも、奥の細道矢立初の碑があるのです。

南千住は千住大橋の南側。千住橋戸町は川を渡った北側。そして、事情を複雑にしている(かもしれない)のが、それぞれ荒川区と足立区という別の特別行政区だということです。

芭蕉自身は、深川から船で移動して来て、「千住といふ所にて舟をあがれば」としか書いていないので、橋の南か北かは、今となっては分かりません。でも、日本文学史上の名作ゆかりの地として、地元には並々ならぬ思い入れがあるのでしょう。

千住大橋の北、矢立初の碑の向かい側には、東京都の足立市場があります。江戸時代から続く市場なので、「魚の目は泪」に合致するのではと、市場の方に聞いてみると、

「当時は『千住青物市場』と呼ばれていたからね。魚も扱っていただろうけど、ちょっと説得力が弱くてね」

とのこと。しかし、

「矢立の初めの句に続けて、『行く道なほ進まず。人々は途中に立ち並びて、後影の見ゆるまではと見送るなるべし』って書かかれているから、千住からは北に向かって陸路だったんでしょう。となると、やっぱりこっちじゃないか。いや、芭蕉さんが旅だった場所は、きっと足立区側だったと思うんですよ」

と奥の細道談義のスイッチが入っちゃった様子。その時は、小学生たちと一緒の食育イベントで市場を訪問していたのに、市場の説明よりも芭蕉旅立ちの地の話題ばかりになってしまって、子供たちにはちょっと悪いことをしたなと思った次第です。

橋の北側で伺った話だけなのでフェアではありませんが、地元の人たちって、意外とその土地の歴史に熱い思いを持っているものなんです。いつか機会があったら、荒川区の方にも、矢立の初めの場所について聞いてみたいと思います。