吉野作造の理想郷

大正デモクラシーの旗手・吉野作造と理想郷

吉野作造という人物をご存じでしょうか。明治から昭和にかけての法学者で、「民本主義」を唱え、「大正デモクラシー」をリードした人物です。出身は宮城県志田郡大柿村(現在の大崎市古川)。東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で震度7を記録した栗原市のお隣です。新幹線の古川駅を降りると、駅前広場には「大正デモクラシーの旗手・吉野作造生誕の地」との観光サインが建てられています。町には吉野作造記念館もあり、教育啓蒙活動も盛んに行われているそうです。

民本主義というのは、国民全体の幸福を第一に考えようという思想で、天皇主権の帝国憲法下にあっては、せいいっぱい民主的な考え方でした。関東大震災後に起こった朝鮮人虐殺の非を糾弾したり、慈善活動ではない住民の自立・自治と連帯にもとづいた社会事業の必要性を唱えるなど、戦前の日本の社会では考えられないくらい、進んだ考え方の持ち主でもありました。「明治期の学者」なんて言うと、鼻ヒゲ生やしてエッヘンなんて言ってそうなイメージがありますが、吉野博士は考え方も人柄もリベラルでやさしい方だったようです(残された写真を見ると鼻ヒゲ生やしていらしたみたいですが)。時代を代表するような人物ですから、多くのエピソードが残されていますが、ちょっといいなと思うのはこんな話。東京帝国大学の教授に就任後、学生から著書へのサインを求められた際に「人生に逆境はない。どんな場合でも人と世のために尽くしうべき機会が潤沢に恵まれている」と記したというんです。

「逆境はない」という言葉は、どんな時でも人間には苦しみがあるということの裏返しのように思います。苦しい時こそ人のために尽くすことで、未来が開けていく。だから頑張ろうと励ましているんですね。それも「頑張れ」という言葉を使わずに。上から目線で偉そうなことを言うのではないところが、スゴイなと思います。

函南原生林の山ふところに吉野博士が夢見た村

宮城県の郷土の偉人であり、大正時代を代表する文化人でもある吉野作造博士ですが、宮城からも東京からも離れた静岡県・伊豆半島にも足跡を残しています。それは「理想郷」。都市化が進んでゴミゴミした東京を離れ、豊かな自然の中で研究や創造活動を行おうというコンセプトで進められたクリエーターのための町づくりです。

場所は函南町と伊豆の国市の境界あたり。函南原生林から連なる山並みに、大仙山という小さな岩山が屹立する山裾です。かつて源頼朝も入ったと言われる畑毛(はたけ)温泉や奈古谷(なごや)温泉がある土地に、吉野博士は親しかったフランク・ロイド・ライトの弟子たちとともに西洋風の別荘を建設。さらに周辺2万坪もの敷地で別荘地の造成を進めました。残念ながら吉野博士の健康がすぐれなくなったこともあり、理想郷は数軒の洋館が建てられたところで建設中断。博士の死後、造成された別荘地は廃れてしまいました。現在では、理想郷よりも山の高いあたりにたくさんの別荘地や保養所が作られ、かつて理想郷があった場所は地元でも忘れ去られているほどです。

それでも、畑毛温泉から大仙山を見上げていると、ヒヨドリやツグミの声にまじって、終生抜けることがなかったという吉野博士の仙台弁が聞こえて来るような気がするのです。東北の復興は住民の自立と連帯で進めなければと語る吉野博士の声が。「人生に逆境はない。どんな場合でも人と世のために尽くしうべき機会が潤沢に恵まれている」

人の思いはいろいろな形で、いろいろな土地につながっているという一席でした。