東日本大震災 復興支援情報

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東日本大震災・復興支援リポート

あきらめない街・石巻!!その力に俺たちはなる!! 石巻工業高校野球部の選手たちが広げていった人のつながり

センバツに21世紀枠で初出場し、しかも選手宣誓のクジを引き当て、被災地の心とあきらめないプレーで、日本中に勇気をくれた石巻工業高校野球部の選手たち。彼らは甲子園入りする直前、静岡県・伊豆で最終調整のための合宿を張っていました。人と人のつながりで実現した伊豆合宿。ナインとナインを応援し続けた人々の物語を追います。

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甲子園に向け出発した石巻工業高校野球部
甲子園に向け出発した石巻工業高校野球部

復興に向けての動きが見えてこない。2012年3月12日の東北

2012年3月12日から、宮城県東松島市、石巻市、女川町、南三陸町を歩きました。あれから1年。ほとんど状況に変化のない町。ガレキだけは撤去されても解決されずに残る暮らしの問題。いま被災地がどんな状況にあるのか、写真を中心にお伝えします。

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震災後に作られた花壇に咲く花
震災後に作られた花壇に咲く花

東日本大震災で何が起こったのか。宮城県のパネラーが防災シンポジウムで語った肉声

石巻工業野球部監督・松本嘉次さん、女川町で廻船業を営む青木久幸さん、多賀城市役所の吉田学さん、そしてコバルトーレ女川ユース監督・檜垣篤典さん。宮城県から大震災の語り部としてシンポジウムに参加した方々の言葉を採録記事としてまとめます。

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防災シンポジウム
防災シンポジウム

この土地で電気関係の仕事をしているんだから放射能の知識はあった。でも、娘の切実な訴えに負けて、一度は静岡へ避難した

南相馬市は立ち入り禁止の警戒区域で町を二分されました。町を離れた人、町に残って生活を立て直そうとする人。どちらにとっても福島第一原発事故の影響が重くのしかかっています。そんな状況の中で人はどんな思いを抱いて生きているのでしょうか。

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完戸富吉さん
完戸富吉さん

ずっと地元で生きてきたから、復興の現実を見つめる目はシビア。それでも弱音を吐くことがない人間としての強さ

地震と津波が家や職場を破壊しました。子供の頃から暮らしてきた町の姿は一変してしまいました。原発事故で家族がばらばらに暮らさなければならなくなりました。それでも変わることのないふる里への思いを、南相馬市で聞きました。

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完戸富吉さん・幸子さん
完戸富吉さん・幸子さん

自分たち家族は浜松で避難生活。両親は南相馬。いますぐにでも戻りたいけれど、それができない

出産2週間後に南相馬市の実家で震災に見舞われ、家族とともに飯舘村に避難。原発の水素爆発を受け、居ても立ってもいられず福島から逃れる。しかし地元に仕事がある父母は南相馬へ。原発のせいで引き離された家族の声をお伝えします。

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川里女久美さんとご家族
川里女久美さんとご家族

「ここに故郷あり」。高木優美さんの300日

福島県いわき市久之浜。福島第一原発から約30キロの町で、再生と発展を信じて活動を続ける高木優美さん。東日本大震災のあの日以降、彼が何を思い、どんな活動を行ってきたのか、時系列で紹介します。

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高木優美さん
高木優美さん

人生あと50年。こんなことでは終われないでしょ!

福島県いわき市久之浜。この1年間、原発から30キロの町として多くのメディアに取り上げられました。町の再生を目指す活動の中心人物・高木優美さんは注目の人となりました。しかし、高木さん自身も1人の被災者。その彼が目指す町の未来はどんな姿なのでしょうか。

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高木優美さん
高木優美さん

いまはまだ被災者と支援者という立場だけれど

福島県いわき市久之浜の再生と発展を目指す高木優美さんたちは、域外からのボランティアとのコラボレーションで数多くのイベントを開催してきました。その狙いは、原発から30キロの町が忘れられないための活動でもあったのです。

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久之浜の花火大会
久之浜の花火大会

久之浜の復興は「夢物語」なんかではないのです。

福島原発から約30キロ。震災直後にはほとんど支援の手が届かなかったいわき市久之浜。この町はいま、「福島でどう生きるか」という視点から世界中の注目を集めています。町の再生を信じて活動する高木優美さんの生きざまを紹介します。

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高木優美さん
高木優美さん

世界の人々に伝えたい。混乱の被災地に貼り出された「6枚の壁新聞」の意義

「防災シンポジウム」の採録記事で紹介した石巻日日新聞社の「6枚の壁新聞」が、パリのギメ美術館で展示されます。極限状況に置かれた地域メディアが何を考え、どう行動したか。その記録がフランスでも紹介されることになりました。

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手書きの壁新聞に書きつづられたのは、「地域に生きる」という迷わぬ思いだった

東日本大震災による停電、輪転機が被災という状況の中、手書きの壁新聞で情報発信を続けた「石巻日日新聞」。手書きという手段をとってまで発行を続けた思いを、社長の近江弘一氏が防災シンポジウムで語りました。

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近江弘一さん
近江弘一さん

いろいろな思いを昇華させて被災地に咲くカラフルなペイントの花。

震災前の町を知らない人にとって、そこは廃墟にしか見えないかもしれません。しかし、長年暮らしてきた人の目には「元の町並み」がしっかり見えているのです。廃墟の上の空間に、これから作り上げる新しい町の姿を、たしかに見出だしている人たちがいるのです。福島第一原発から約30キロのいわき市久之浜町を訪ねました。

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久之浜に咲くガレ花
久之浜に咲くガレ花

地域がばらばらになる仮設住宅への入居。切実に求められているのは、新しいコミュニティの立ち上げ。

「子どもたちは何人帰って来ているの?」女川町新田地区で炊き出しをしていたら、仮設福祉施設の窓が開いて元気な女性の声が響きました。声の主は町からの委託を受けて施設を運営する「ぱんぷきん介護センター」の住吉いづみさん。被災地での福祉サービスの現状と、仮設住宅の問題点について聞きました。

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住吉いづみさん
住吉いづみさん

待ちに待った養殖再開の門出の日、お金のことを尋ねると、漁師の木村さんはカッと笑った。

女川はギンザケ養殖で有名な町です。施設を津波で流された人たちは、仕事の再開に向けて資金面での困難に直面しているはず。しかし、五部浦湾の入り江で出会った漁師の木村茂さんは、お金の話を笑い飛ばすように言いました。「自分の仕事はこれだからな」と。

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木村茂さん
木村茂さん

がんばろうと思うのだけれど将来を考えると不安の方が先に立ってしまう。

推定20メートル以上の津波に襲われ、壊滅的といえるほどの被害を受けた宮城県牡鹿郡女川町。被災した多くの人々を福祉関連の仕事を通してサポートし続けてきたY・Hさんが、被害が軽微だった人の苦悩について語ってくれました。被災地で聞いた現実です。

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商売なんてイイ時はバカでもできる。落ち込んで、苦しい時に、どう生きるかが問題なんでないか。

景色が一変するような被害に見舞われた場所で、休むことなく自分の仕事を続けてきた人たちがいます。仕事とは何なのか。あきらめない気持ちの源はどこにあるのか。津波被害の爪痕が痛々しいガソリンスタンドで、震災直後から営業を続けるY・Kさんに聞きました。

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動けるうちは動きましょう。前へ、前へ進むのみ。

海から1kmほど内陸に入った女川町清水地区。チリ地震の津波でも被害をほとんど受けず、浸水想定区域外だったこの土地は、大津波によって壊滅しました。震災直後の混乱、避難所での暮らし、そして冬を迎える仮設の問題。「前に進むのみ」が信条という石田志寿恵さんが語ってくれました。

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石田志寿恵さん
石田志寿恵さん

いま私たちにできる事は何なのだろう 写真で見る被災地8カ月後の現実。

本格的な冬を迎える前に仮設住宅が完成して、被災者の多くが入居できました。被災者はみんな元気です。みんな「ありがとう」って言ってます。東北の人たちはガマン強いからもう大丈夫――。そんなの、作り話でしかありません。女川町では復興どころか復旧への道のりすら、まだ見えないのです。

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被災地8カ月後の現実
被災地8カ月後の現実

被災者って呼び方はもうやめよう。「お互いさま!」と語り合える支援を。

NPO法人伊豆どろんこの会は、被災地から多くの人々を伊豆の温泉地に招待するショートツアーを開催してきました。なぜ被災地からのツアーなのか?被災者の心につながっていく支援の在り方とは?伊豆どろんこの会理事長・白井忠志さんに聞きました。

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白井忠志さん
白井忠志さん

行って、会って、話をする。「自分たちだからこそ」の支援はきっとある。

2011年3月11日、多くの人が思ったことでしょう。「自分も何かしなければ!」。でも同時に「自分に何ができるのだろう」と自問した人もいたかもしれません。河合孝彦さんの答は明快でした。「自分だからこそできる形で被災者のお手伝いがしたい」。彼の思いと活動をお伝えします。

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河合孝彦さん
河合孝彦さん

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