震災の恐ろしさを教訓に

leoleo

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あれから4年。あの恐ろしい大惨事となった震災のあった日はいつもどおりに会社に出勤していました。当時勤務していた会社ではビルの5階で作業をしていたため、静岡県と被災地からだいぶ離れた地域でありながらその時の揺れは余計に大きく感じました。
我が家ではまだ生まれて一年にも満たない子供と妻が自宅におり、急いで自宅に帰り妻と子供の安否を確認し、テレビをつけた時の記憶が今も鮮明に残っています。
東北では現実とは思えないような状況が発生しており、何が起きているのか全く理解できなかった状況でした。
今振り返れば、万が一あの時の被災地が居住している地域の近辺だったらただただ何も考えず逃げ惑うことしかできなかったかもしれません。
ですが今は少なくともあの頃よりは、こうしたほうがいい、ああしたほうがいいという判断ができるようになっていると思います。
復興が進んでいけば被害の跡が少なくなっていくかと思いますが、それでも震災がいかに恐ろしく、自分が思うよりはるかに大きな被害をもたらすということを忘れずに、万が一は現実になると考えた行動をとれるよう常に意識していたいと思います。

いのちの教科書

現在、女川町女川中出身の高校生が作成しているといういのちの教科書。これは実際に震災の被害にあった方々の記憶をもとに、命をまもるための教科書を作成するというプロジェクトだそうです。
多くの人の大切なものを奪った恐ろしい災害。その本当の恐ろしさは実際に体験した方々にしかわからないものだと思います。実際に震災を体験した方々が作成する教科書には震災を体験していない人にも、災害への備えを意識づけてくれるものとなるのではないのでしょうか。

震災の爪痕

女川訪問時に撮影した江ノ島交流会館

女川訪問時に撮影した江ノ島交流会館

ちょうどこの記事を書いているときに見ていたニュースでは「震災から時がたつにつれて津波の恐ろしさが薄れてしまっている。どうにかしてこの記憶を語り継がなければならない、そのためには建物を残すべきだ」という声と「震災のことを思い出すし、復興の妨げになるから早く取り壊してほしい」という対照的な意見に分かれていました。
どちらの声ももっともだと思います。以前実際に女川に訪問した際に津波の恐ろしさを一番感じたものは津波の被害にあった建物を見たときでした。
それはテレビの画面で見るものや写真で見るものとはまったく異なる雰囲気で、本当にこのような大きな建物がこんなにも無残な状態になってしまうのか、と感じました。
反対に初めて見る自分でさえそのような畏怖を覚えるものは、実際に災害を体験した方から見ればトラウマとなってしまうのは当然のことだと思います。
個人的な意見からすればテレビの中の出来事だと思っている人も実際にそういった震災の爪痕を見ることで災害への恐怖と対策への意識が備わるのではないかと思いますので、建物を残しておくことには大きな意味があるのではないかと考えます。
自分にできることといえばそういったものを目にしたことで感じたことを、多くの人に伝えることは難しくてもせめて自分の身近な人たちに伝えることだと思います。

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