[関東大震災の記憶]横網町公園

iRyota25

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本所被服廠跡地の被害

10万5000人とも14万人ともいわれる死者・行方不明者があったとされる関東大震災。死亡者の9割近くが火災による焼死や窒息死によるとされる中で、とくに凄惨を極めたのが現在の墨田区横網にあった本所区陸軍被服廠跡だった。

陸軍から払い下げられ、大きなグラウンドを有する公園への整備が進められていたこの場所には、震災後に各所で発生した火災を逃れて4万人近い人が集まっていた。住宅密集地の中の大きな空き地に人々は、大八車やリヤカーに家財道具を積み、あるいは自ら背負いして集まっていたという。周囲から寄せる火の手は人々が手にした家財道具に飛び火し、そのうちに人間に直接引火するほどの高温になり、やがて巨大な火災旋風(火炎の竜巻)は人々を巻き上げ、吹き飛ばし、焼き尽くした。

この場所だけで死者は3万8000人といわれる。

東京都立横網町公園

この場所は現在、東京都立横網町公園として整備されている。公園内には遊具などのほかに東京都慰霊堂、東京都復興記念館などの施設がある。

関東大震災と東京大空襲の身元不明の遺骨などを祀った東京都慰霊堂は耐震補強工事の最中だったが、毎年この公園では関東大震災が起こった9月1日と東京大空襲の3月10日に法要が行われている。

公園はきれいに整備されているが、その印象は「意外と広くない」ということ。とても4万の人々が避難したとは想像できないほどだ。3万8000人の死者は敷地1坪に2人の計算になると言われるが、さらに悲惨な状況だったのではないか。

吉村昭の労作「関東大震災」から本所被服廠跡についての記載の一部を引用しよう。

炎は、地を這うように走り、人々は衣服を焼かれ倒れた。その中を右に左に人々は走ったが、焼死体を踏むと体がむれているためか、腹部が破れない像がほとばしった。

そのうちに、烈風が起り、それは大旋風に化した。初めのうちは、トタンや布団が舞い上がっていたが、またたく間に家財や人も巻き上げられはじめた。

吉村昭「関東大震災」1977年 文春文庫

その間、人々は土に爪を立ててくぼみを作りその中に顔を突き入れて空気を吸っていた。が、髪油をつけた女の神に火がつくと、女は絶叫して立ち上がりそのまま仰向けになって倒れる光景が続出した。

吉村昭「関東大震災」1977年 文春文庫

かれは、浅草の映画館から吾嬬橋を渡って被服廠跡へ入ったが、そこで旋風に襲われた。かれは、友人の潮田と手をにぎり合って敷地内を逃げまどっていたが、突然焼けトタンがすざまじい勢いで飛んできた。その瞬間、身近に乾いたような音が起り、潮田が倒れた。

引き起こそうとしたかれは、以外にも潮田の頭部が失われているのに気づいた。トタンは、潮田の首を鋭利な刃物でないだように断ち切ってしまっていたのだ。首のない潮田の手は、かれの手をつかんだままはなさない。かれは、必死になって潮田の指をひらき、ようやく逃げ出すことができたという。

吉村昭「関東大震災」1977年 文春文庫

助かった者たちの大半は、死者の山の下方に自然にもぐりこんでいた者だが、上方の焼けた死体の脂が体をおおい、眼も脂で閉ざされてしまったという例もかなりあった。

吉村昭「関東大震災」1977年 文春文庫

首都圏が大地震に見舞われた場合、東日本大震災の様相とは異なり、大正の関東大震災に類似した被害が発生する恐れがある。鉄筋コンクリートなど燃えにくい建物が増え、大正の頃に比べればはるかに東京の安全性は向上しているという漠然とした思いはあるが、こんにちでも首都圏大地震での火災旋風による被害は懸念されている。

吉村昭の「関東大震災」によると、被服廠跡で被災し、その場で荼毘に付された人々の遺骨の山が高さ3メートルに達したという。元々公園にする予定だった被服廠跡地には、震災記念堂を建てる計画が持ち上がった。

その建設趣旨は、

一、震災を記念すると同時に後世の人々をして、天災に処する途を常に考慮せしめ、再び此大惨禍なからしむること。

一、震災に依る数万犠牲者の納骨堂を造り、其の霊を永久に弔祭し得る霊廟を造ること。

一、平素は社会教化的機関にも利用し得ることとし、建物内には、震災を記念する絵画彫刻を掲げ、震災記念品を蒐集陳列し、以て震災記念館とす

吉村昭「関東大震災」1977年 文春文庫

国技館や博物館、高いビル群に囲まれた横網町公園は美しく整備され、現在の姿から震災当時の光景を思い描くことは極めて困難だが、いったん大災害が発生すれば、都市の表の顔は無残に破り捨てられ、地獄というよりほかない状況が現出してしまう可能性があることだけは、決して忘れることなく覚えておきたい。

本所被服廠跡に山と維まれた三萬二千人の遺骨(ママ) 文成社「関東大震災画帖」(1923年9月30日発行)より | デジタル画像は国立国会図書館より
本所被服廠跡に山と維まれた三萬二千人の遺骨(ママ) 文成社「関東大震災画帖」(1923年9月30日発行)より | デジタル画像は国立国会図書館より

東京都立横網町公園

陸軍本所被服廠跡

「再び此大惨禍なからしむる」…震災へのそなえを明日に伝えていくために
「再び此大惨禍なからしむる」…震災へのそなえを明日に伝えていくために
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文●井上良太

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