2014夏休みレポート Vol.3 ~飛騨高山 その3~

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 【ぽたるページ】2014夏休みレポート Vol.2 ~飛騨高山 その2~ - By sKenji - ぽたる
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現存する日本唯一の陣屋

高山市街を流れる宮川に「中橋」というひときわ目立つ朱色の橋が架けられている。改修などされているものの、城下町が作られた約400年前から存在する橋である。

その中橋の西側を歩いていると、歴史を感じさせる門があった。中をのぞいてみると時代劇にでてきそうな建物がある。お店や住宅が密集する市街地中のなかにあって、この一画だけは広くゆったりとしており、別の空間のように感じられる。

近くの交差点にあった道路標識を見ると「陣屋前」と書かれていた。どうやら江戸時代に郡代・代官所が置かれていたようである。中に入るか少し迷ったものの、その時は建物の価値を知らずに「古い町並み」へと向かった。

しかしその後、同陣屋が「日本で唯一現存する郡代・代官所」と知り、見に行くことにしたのだった。

高山陣屋について

陣屋は現在、高山陣屋と呼ばれている。江戸時代中期に代官所として設置され、1777年に郡代所に昇格している。郡代と代官はいずれも幕府直轄地の行政を担っているが、両者の違いは10万石以上の直轄地を担当している役人を郡代という。高山陣屋についての説明は、岐阜県のWEBサイトに詳しく書かれている。

陣屋とは、江戸時代に郡代・代官が治政を行った場所で、御役所や郡代(代官)役宅、御蔵などを総称して陣屋と呼びます。
飛騨代官は安永六年(1777)に飛騨郡代に昇格し、当時3ヵ所あった郡代役所(関東・西国・美濃)と並んで幕府の重要な直轄領となりました。
幕末には全国に60数ヵ所あったと言われている郡代・代官所の中で、当時の建物が残っているのはこの高山陣屋だけです。
全国で唯一建物が現存する遺跡で、昭和4年には国史跡に指定されました。
(中略)
高山陣屋は、高山城主金森家の下屋敷(向屋敷)として使われていましたが、直轄領となってからは陣屋として代官や郡代がここで飛騨の政治を行いました。
以来慶応四年(1868)に至るまで176年間、江戸幕府は25代の代官、郡代を派遣して飛騨の国を支配してきました。
明治維新以後、陣屋の建物は高山県庁舎等として使用され続けました。
昭和44年に飛騨県事務所が移転した後、岐阜県教育委員会は高山陣屋の保存へと乗り出し、足かけ16年の歳月と、約20億円という費用をかけて、平成8年3月に修復・復元が完成しました。

岐阜県 : 高山陣屋の紹介

ちなみに代官が置かれる以前、この地は金森氏が支配していた。しかし、徳川幕府は木材や金・銀などの地下資源を目当てに、1692年、金森氏を現在の山形へ国替えにして、幕府直轄地にしたと言われている。

高山陣屋

高山陣屋を歩く

高山陣屋・表門
高山陣屋・表門

陣屋へは表門から入る。高山陣屋には江戸時代に建てられたものと、平成に復元されたものがある。表門は江戸時代(1832年)に造られた貴重なものでる。
表門を入ると、郡代・代官が執務を行っていた建物の玄関へと続く道がある。途中両脇には、白い砂利が10m×2mほどの長方形に敷かれている。

高山陣屋・表門
高山陣屋・表門
御役所の玄関
御役所の玄関
玄関から表門を撮影。時代劇に出てきそうな光景
玄関から表門を撮影。時代劇に出てきそうな光景

玄関を入ると、「玄関の間」がある。そこで目を引くのが床の間に描かれた「青海波(せいがいは)」と呼ばれる文様である。青海波は徳川家のシンボルであり、文様の使用が制限されていたそうである。

「白い砂利」、「御役所の玄関」、「青海波」など、いずれも時代劇のドラマで見たような光景で興味をひかれる。

「玄関の間」の北隣には郡代・代官や役人が事務を行っていた部屋である、御役所と御用場がある。

「玄関の間」に描かれた青海波。徳川家の権威の象徴でもあるという
「玄関の間」に描かれた青海波。徳川家の権威の象徴でもあるという
写真手前の部屋が御用場で奥が御役所
写真手前の部屋が御用場で奥が御役所

御役所がある建物にはほかにも、役人の補佐するための町人が詰めていた町年寄詰所、寺院詰所、町組頭詰所などの部屋がある。

御役所の北側には渡り廊下があり、順路ではこの廊下を渡って歴代の郡代や代官の公邸である「郡代役宅」へと移動して見て回る。

郡代役宅には、郡代・代官が使用した居間のほか、女中部屋や台所などがある。

「郡代役宅」へと続く渡り廊下から中庭を撮影
「郡代役宅」へと続く渡り廊下から中庭を撮影
廊下を渡ると「郡代役宅」となる
廊下を渡ると「郡代役宅」となる
郡代・代官の居間
郡代・代官の居間
郡代役宅の中庭
郡代役宅の中庭
郡代役宅の一部は3階建となっている。江戸時代には珍しかったとのこと
郡代役宅の一部は3階建となっている。江戸時代には珍しかったとのこと
台所エリア
台所エリア
御白洲。ここで罪を犯した人の取り調べが行われた

御白洲。ここで罪を犯した人の取り調べが行われた

郡代役宅を見た後、順路は再び玄関の間へと戻る。途中、玄関の間の南隣には「御白洲(おしらす)」がある。御白洲は犯罪者を取り調べた場所で、敷かれた砂利が白く見えることから名前がつけられたという。

通常の順路では御白洲の後に「御蔵」を見て回る。しかし、私が訪れた日は台風による強風のため、見ることができなかった。なんでも、強い風が吹くと御蔵の屋根にのせてある大きな石が落ちてくる危険があるという。

高山陣屋では時代劇の世界に迷い込んだような感覚を覚えることがある。現存する唯一の陣屋であり、飛騨高山に来たからにはぜひ訪れてほしい場所である。

高山市政記念館

高山市政記念館
高山市政記念館

高山陣屋とともに個人的に気に入ったのが「高山市政記念館」である。

とは言うものの、今回高山を訪れるまで同記念館の存在すら知らなかった。松本方面から高山市街に入るとその手前に丹生川町という地区がある。そこで初めて高山の市政記念館のことを知ったのだ。同地区を通っている時、たまたま国の重要文化財に指定されている古民家を見かけて立ち寄った。古民家ではひとりのおばちゃんが受付をしていた。ほかにお客さんもいなかったので、しばらくおばちゃんと話し込んでいた。その際、おばちゃんおすすめの場所が「高山市政記念館」であった。

「高山市政記念館」は、1895年に高山町の役場として建てられている。1968年まで使われた後は公民館として利用され、1986年に明治から現在までの高山の行政資料などを展示、保存する市政記念館としてオープンしている。

同記念館の一番の魅力は、展示物もさることながら、建物全体に漂う明治~昭和初期を感じさせるレトロな雰囲気である。名工・坂下甚吉らによって建てられた同記念館は総檜で作られており、当時初めて導入されたというガラスが各所に使われている。そのせいかレトロな中に、どこかモダンな印象もうける。2階にある展示室の天井は見事で、緩い美しいカーブ描いた天井には建築美を感じさせられる。

私が訪れた時は台風の影響で断続的に雨が降っていた。そのこともあり、同記念館ではのんびりとしていた。座敷でくつろぎ、木造の渡り廊下にあった椅子に腰かけてボォーっとしばらく中庭と雨を眺めていた。妙に落ち着き、安らぎを感じる空間であった。

高山市政記念館は、年配の方は幼いころの郷愁を、若い世代はレトロな趣を感じらることができる場所だと思う。同記念館で古き良き時代に浸りながら、心安らぐひとときを過ごしてみてはいかがだろうか。

応接室
応接室
館内にある座敷。議員の控室として使われていた
館内にある座敷。議員の控室として使われていた
木造の渡り廊下
木造の渡り廊下
1階にある展示室
1階にある展示室
2階展示室。明治から現在までの展示物がある。写真は初期のパソコン
2階展示室。明治から現在までの展示物がある。写真は初期のパソコン
2階展示室の展示物
2階展示室の展示物

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