あの日、双葉町であったこと「原発は生活の基盤だったが」

iRyota25

公開:

2 なるほど
1,657 VIEW
0 コメント
 ●第2回 あの日、双葉町であったこと「パニックを抑えたもの」
potaru.com

東京電力福島第一原発で勤務中に巨大地震に遭遇した佐藤大さん。家族の無事を確認したその晩、町の安全を守るため消防団員の一員として出動します。

避難勧告にはタイムロスがあった

夜が明けて3月12日の朝、避難勧告が出されましたが、この時間にはタイムロスがありました。

避難勧告は4時、6時、8時、10時と出されました。4時頃と6時頃というのは消防団に避難勧告が入ってきた時間です。住民を避難させてくれっていう情報が消防団、私の耳元に直接入ってきた時間です。

実際には半径5キロの人への避難勧告は、もう11日の夜の11頃に出ていたそうです。
10キロの避難勧告が出たのが夜中の12時頃。消防団に伝わってきたのはそれぞれ4時頃と6時頃。タイムロスは6時間くらいです。

8時の15キロ圏。ここになってタイムロスはちょっと小さくなるんですが、避難勧告が出されたのは朝の6時頃だったそうです。それが伝わったのが8時。2時間です。

で、半径20キロってのが10時。これは正確です。なんで正確かっていうと、自衛隊か消防かのヘリから避難してくださいっていう放送がずっと言われ続けていたからです。

「何キロ圏」という言葉。直線距離なんて分からない

で、もうひとつ問題なのが半径何キロって言葉です。
たとえば「半径20キロ」って言われても、「どこからの半径なの?」ってことです。これがもうパニックの原因なんです。「何の半径なの?」って。

分かる人には分かるんです。半径20キロって言われて「あ、原発からだな」って。だけど、分かんない人は分かんないんですよ。

「どこからの避難なんだよ??」

パニックを起こしたというのがこれなんです。第二次のパニック。そういうことがあったということも覚えておいてほしいんです。

そして原発からの半径だと分かっても、「第一原発からここまで20キロあるか?」ってことになる。みんな距離を言われて想像できるのは道を車で走っての距離なんです。直線の半径なんてまず分からないですよ。

私んちにしても、直線にすれば半径3.5キロなんですけど、車で行くと原発までだいたい10キロ以上あるんです。田舎道なんでくねくねと距離を走る。みんなどうしても車で走った距離で考えてしまう。

「まあ大体23キロくらいかな」なんて言ってる人んちが、直線距離にするとにすると原発から6キロくらいしかなかったりするんです。

そういう誤解を招くような情報で話がおかしくなっちゃう。

避難指示のタイムロスにしても、何キロ圏って言葉で直線距離が想像できないことにしても、その結果どうことになるかということなんです。

責任を負えないものは使うんじゃない、ということ

原子力ってね、人間の手でつくったものです。だけど、今回のことで分かったのは、人間の手でつくったものだけど人間の手では扱うことができなかったってことです。責任を負えないものは使うもんじゃないんじゃないかなってことです。

これ、私の個人的な意見です。

(写真を示しながら)

これが3号機ですね。3号機はプルサーマル燃料、要はリサイクル燃料を使ったものです。これが大きく破損しています。プルサーマル燃料ってのはプルトニウムを使っているんですよ。プルトニウムというのは原爆に使われるのと同じです。極端な言い方をすれば爆弾に使う燃料で発電しているわけです。

ただ、原爆ほどの殺傷能力はないです。でも3号機の爆発が4号機と違ったということがあります。4号機は横に壊れてますね。それに対して3号機の場合は爆発の時に真上に吹っ飛びました。原爆と同じようにキノコ雲を出したんです、3号機は。ある意味、核兵器みたいになった。そういうことでもあったということなんです。

たしかに原発の仕事をして飯を食ってきましたが。

たしかに原発で仕事をして飯を食ってきました。生活の基盤だったということもある。町が潤っていったのも見てきている。

けれども、こういうふうになったのも、原発があったからです。

自分自身の生活の糧としてやってきたのもあるけども、今回の地震でこういう風になって、そして故郷を追い出されました。

だからいま、すごく中立な目で見られるんです。原発に対して。

(爆発で破壊れた3号機の写真を示しながら)

ここ、ちょうどここなんですよ、私が工事したの。配管とか複雑で、すごく思い入れがあるんです。悩んで悩んで、どうしたらいいかなって悩み抜いて工夫したところが、全部こうして破壊されて、ちょっと悲しい気持ちもあるんです。

やった! 俺の一仕事が終わったなっていうのがこうなっちゃったんです。たったの3カ月です。だって1月に終わったばっかだったんですよ。工事がやっと終わって、ものの3カ月で俺の愛の結晶がすべてが吹っ飛んだねって思いつつ……。

なかなかね、深い話になってしまいますけどね。

(佐藤さんはここで話を切って、次の話題に移った。短いインターバルにこめられていたのは、原発の話題の最初に言った言葉だったに違いない)

原子力ってね、人間の手でつくったものです。だけど、今回のことで分かったのは、人間の手でつくったものだけど人間の手では扱うことができなかったってことです。責任を負えないものは使うもんじゃないんじゃないかなってことです。

これ、私の個人的な意見です。

(つづく)

書きおこしと編集●井上良太

 あの日、双葉町であったこと
potaru.com

最終更新:

コメント(0

あなたもコメントしてみませんか?

すでにアカウントをお持ちの方はログイン